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元氣メグル日々 エリカのブログ

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娘の手紙

6歳の娘が、ガリカイ・ティリコティ氏の10/28浜松町カラバッシュでのラストライブのあとに、ガリカイ氏の息子トンデライに手紙を書いていました。
トンデライは娘にとっては、兄にあたる。「だいすき、トンデライ、ありがとう」と拙い文字。絵のトンデライはムビラを弾いているそうです。「大きくなったらトンデとムビラを弾く」そうです。
ガリカイ氏が抱き締めてくれたり、日本に住むトンデライやガロウェの親族に時々会えることが凄く嬉しいみたい。
ムビラが鳴れば自動的に前にでて踊るようになり、共に踊り歌えるようになった成長に感動。
2つの文化がこの子に深く染みていく。素晴らしいなぁ。

| アフリカ、ムビラ | 14:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ガリカイさんのライブを終えて

10月20日土曜日 自宅近くのコミュニティーハウスで、ガリカイ・ティリコティ氏全国ツアーのひとつとして「ジンバブエのムビラ音楽で踊ろう」と題して、子供向けのイベントをやりました。
スミくん、ガリカイさん、素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました。

娘の保育園の目の前のコミュニティーハウスです。保育園の職員がその日保育だった子供たちを15名ほど連れて来てくれ、ホーショウ振ったり一生懸命ダンスもしていて、盛り上がりました。近所の顔見知りの高齢者たちも沢山来てくれたし、チラシをみて市外から来てくれた方もいて盛り上げてくれて、主催のコミュニティーハウスからも好評で、ありがたかったです。

ガリカイさんの生音のムビラ、ダンスワーク、素晴らしかったですねぇ。ジンバブエで何人もムビラ弾きを見てきていますが、やはり超一流の方です。
ガリカイさんは娘に「マコーレマンガーニ(何歳)」と聞いたらしく娘はしっかりと「シックス」と言えたようで、「ワナワング(我が子)」と言ってもらえたと娘は大喜びで「ダディワング(私のお父さん)」とずっと言っていました。
今年のジンバブエで何度も村の子たちとムビラで踊ってきて、娘のダンスも板に着いてきたなぁと思います。娘がショナミックスとして誇りを持って成長している姿が、母として本当に幸せです。
10月28日(日) 浜松町カラバッシュでのラストライブは、娘とともに参加して踊りまくります。楽しみです。



| アフリカ、ムビラ | 21:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジンバブエのムビラ音で踊ろう

10月20日土曜日 自宅近くのコミュニティーハウスで、ガリカイ・ティリコティ氏全国ツアーのひとつとして「ジンバブエのムビラ音楽で踊ろう」と題して、子供向けのイベントをやります。

娘の保育園の目の前のコミュニティーハウス。保育園の子供たちにジンバブエミックスの娘と過ごした思い出や、多文化に触れて、世界の多様性を感じられる人になって欲しいなぁ、とか子供たちに型にはまった躍りでなく、感じるままにムビラの中で踊って欲しいなぁ、など思って企画しました。
ガリカイ氏は、ジンバブエの拡大家族では娘のお父さんにあたる人。ツアーを盛り上げたい。

ただ場所を借りたかった私の思惑に反して、コミュニティーハウスの主宰イベントになり、市や旭区の広報にものり、「横浜市外からも問い合わせが来てますよ」とコミュニティーハウスのスタッフに教えられ、賑やかなイベントになりそうです。
私も久々、1年半ぶりぐらいにムビラの紙芝居をします。
是非来てください!

写真は娘がまだ1歳の頃の紙芝居ライブにて。こんな赤ちゃんがもう保育園年長です。


10/20(土)
ジンバブエのムビラの音楽で踊ろう
10:00~10:20 ムビラの紙芝居(ハヤシエリカ)
10:20~11:40 ムビラのダンスワークショップ
11:40~12:15 ムビラ演奏
大人1000円 高校生以下子供無料
上白根コミュニティハウス
神奈川県横浜市旭区上白根町233-6
045-954-1691

| アフリカ、ムビラ | 14:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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11年振りの再会


ジンバブエでの最終日、2007年にムビラジャカナカのマサと通って歌を習ったチポ・ワザラとムビラメーカー、ジョナ・ワザラを11年振りに訪ねた。変わらずグレンビュー8の家で暮らしていた。

当時1才ぐらいだった末娘タリロを膝に抱いてムビラを弾いて歌を教えてくれていたが、その子もホーム1(中学1年ぐらい)に成長していて、お母さんのチポとムビラを弾いて歌ってくれた。
子供の成長に歳月を感じてしまう。
11年前に理解しきれなかったタッツンガイラの歌いだしを解明したくて、訪ねようと思ったのだ。当時はスマートフォンもなく、MDプレイヤーに録音していたのだ。今でも歌の練習にその音源を聞いているが、音だけでは解明出来なかっことが今回よく分かった。
2011年アンブヤ・ニャティとともにヨーロッパツアーに参加したチポの歌とムビラは、相変わらず美しかった。
ダンデの「生まれ故郷のダンデで死にたい。育ててくれたお祖母さんのいるダンデ」などの新しい歌詞を教わり、ムビラの伝統的な歌詞の意味深さにまた感じ入ってしまった。

私が「クムーシャ(村)の暮らしの素晴らしさに結婚しようと思ったんだ」などと話して、チポも
「祖先の魂が望むのでハラレで半分暮らし、あとはクムーシャのモンドロで暮らしている。ハラレの暮らしは貧しい」とチポとクムーシャ暮らしのよさを語り合ってしまった。
11年前は5人の娘を抱えて未亡人だったが、今はシキロ(霊媒師)の夫を得て、伝統的な色をもっと濃くしている様子が見れた。
毎年、ハラレで数日とって歌をまたチポに習いたいなぁ。

さあ、帰国だ。


| ジンバブエでの日々 | 01:10 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジンバブエ滞在記8月23日~9月9日

8月23日
ジンバブエではメイズ(トウモロコシの一種白くて硬い)が主食。
メイズは10月頃種を撒き、3月頃収穫される。外皮を剥がして、天日で干して、8月末頃脱穀してメイズの粒だけにする。
その脱穀作業を連日一家総出で作業するので、私も手伝う。ここの農業はすべて手作業。畑を耕すのが牛なら、種蒔きも一粒ずつ人が撒く。脱穀も棒で叩くのみ。マグリと呼ぶ心の部分と実が剥がれるが、私はマグリを集め畑のゴミ場所へ持っていく作業をしていた。とにかく棒でメイズを勢いよく叩く、その原始的な作業。
チアニケ家では、80Lの袋が60袋程度出来るぐらい収穫できていた。1袋12ドル程度で政府に売る。

ここの農業は重労働だ。不合理かもしれない。村の農業を捨てて、都市部や外国に行く若者も多い。しかし、私が美しいと思ってしまう。機械化された生活を絵に描きたいとは思わないが、このクムーシャは水汲みから囲炉裏での料理から農業のすべてがゆっくりと人の手によってなされている。人の手作業によってなされたものは、美しいのだと、ここで生活をしていると実感する。

15年前放浪の旅に出たときから、旅で出会った人々の生活を描いてきた。今は仕事と育児の方が優先で絵は描けていないが、一生かけてこのジンバブエでの村の生活を描きたいと思っている。子育てが落ち着いたらクムーシャと題した個展でも開きたい。

ムビラも以前から伝統文化を継承するのみで、それを日本人として表現しなくてもいいのかと言われる。いいのだ。ムビラは瞑想であり、祈りなのだから。その境地に自分があり、精霊とのつながりを少しでも作れればそれでいい。
お経やマントラに個性的な表現は必要だろうか。物体を超え、精霊や大宇宙と一体化した平和な境地があればいい。
チアニケがムビラ以外の楽器に興味がない、と言っていた。(ホーショウや太鼓などムビラ音楽をサポートするものは、好きだろう。)なぜなら、精霊とつながらないからだと。ムビラ奏者は、みんなスピリチュアルだ。

ハラレに住む日本人の友人と毎年会うが、このクムーシャに毎年通う境地を共感できない。大自然とともにあって、自分の体内の自然と一体化した生活以上には、幸せな境地はないと感じる。このクムーシャの生活は幸せだ。


8月30日
村では、動物たちの出産が相次いだ。村の生活では、生き物たちの生死が身近だ。

牛は草原で勝手に出産し、子牛を連れて戻ってきた。家の牛追い(クモンベ)をする少年たちは、見守っていたようだが。

鶏も15個卵を産んで3週間程暖めて、10匹雛が生まれた。母親について回って、母親のお腹の中で守られて眠って「人間も鶏もママが好きなんだね」と娘は観察している。しかし、5個は孵らなかった。ひとつは殻を一部破って死んでしまった。家の犬に上げたら、もう雛の形をしていて、犬はガリガリと骨を噛みながら一口で食べてしまい娘と驚いてしまった。他の孵らなかった卵も、割ってみたら背骨ができていたり、全く普通の卵で早い段階で死んでしまっていたり、雛になれるのは貴重なんだと思わされた。

ウサギもツロと呼ばれるが、5匹子供を産んで、毎日目を開けるようになったとか、成長をみていた。しかし、家の犬が、夜にウサギ小屋の一部に穴を開けて、全部食べてしまった。朝起きたら、子供がいなくなって、これまた驚いた。

チバゲを保管している場所から、ネズミが発生。娘は他の子達と共に、棒をもって追いかけて、逞しくネズミを叩き潰していた。
私はムビラを弾いたりして過ごしているが、村は一日中村の子達と走り回っている。「バッターの小さいのも皆ニャマ(肉)といって採って食べているよ」と教えてくれる。娘も知らぬ間にバッタを採ったり、食べたりしれているらしい。

都市の生活では、自分の生死さえ身近に感じられにくい。人も動物も、生きる生々しさが感じられる村の日常。
大自然と類似の自然が自分の中にあり、そのバランスがとれることが健康であり、幸せを感じられるのだと、私は信じる。
私にも娘にも、このジンバブエの村で生活する時間は、心身共に生きるということを教えてくれる大切な時間だ。

写真は、一匹3ドルで買った近所のダムで採れた魚。鯰に近く泥臭いが美味しい。


9月9日
2ヶ月弱のジンバブエ滞在が終わり帰国間近。

今回のハラレで$40両替したら60ボンドノーツになった。レートの差は広がっているように感じる。宿でチェンジしようとしたら、「今はボンドノーツが足りないのでちょっと待って欲しい」と言われた。昔ジムドルのハイパーインフレーションの時に闇両替できる場所を探したり、両替商が調達してくるのを待ったりした懐かしい感覚を思い出した。
「この金には期限があるんだ。いつだて政府が使用期限が終わったって言い出すか分からないよ」と人々は言っている。確かに前のジンバブエドルもベアラーズチェックと呼ばれていて、正式な通貨ではなかった。今回もボンドノーツを使い切ろうと思うのだった。

ハラレで過ごすのに久しぶりにハラレ最大の市場ムバレムシカに行ってきた。娘にうるさいムバレの人々や少々治安の悪さに、怖い思いをさせたくないと思って娘が生まれてから行っていなかった。人々はアフリカミックスの娘を連れて歩くと仕切りに声をかけて来るが、娘は「ンノンジ チェナイ(私の名前はチェナイです)」と答え楽しそうに対応していた。ジンバブエではショナネームで答えたほうがいいと彼女は学んだらしく、チェナイとかアニェンバ(シマウマトーテムの娘)とか自分のことを話していた。「ムバレって面白いね。また行こうね。」と言っていた。フレンドリーな性格の子で本当に良かった。写真は、風邪によく効くズンバニティーを求めて行ったムバレのナンガ(伝統的薬草師)のコーナーにて。

リンガ村では、お世話になったムビラの師匠チヤニケが最後の晩、家族のメンバー全員参加でムビラを弾いて踊って、私の出発を祈ってくれた。振る舞われた嗅ぎタバコのブーテの匂い、セクル・チアニケの歌声。心に染みた。
娘も仲良しの家の子供たちが踊るので一緒に踊る機会が数回あり、なかなか面白く踊るようになり、日本でムビラライブに連れていくのが楽しみになった。
「ママが仕事忙しいしジンバブエにもういかないと言っても、私は来るよ。大きくなったらムビラ弾くんだ」と娘。
ママは、もう16年もムビラを深めたい一心でジンバブエに通っているんだよ、時間とお金を作って一生通うよ。

| ジンバブエでの日々 | 04:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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