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元氣メグル日々 エリカのブログ

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ジンバブエの旅 その2

リンガ村のか連れ暮らしたビレッジ7から、ムビラ奏者レイナード·チアニケのビレッジ4Bに移った。例年通りのスケジュールだ。
チアニケの末娘が結婚してその婿さんの家族が来て、夜中のホームパーティーになった。日本で仕事と家事に追われ、ムビラを弾くことなど1ヶ月に数回なのに、急に儀式のように何時間も何曲も弾くはめになったが、体が覚えているもので気持ちよく弾けた。何年かぶりのホーショウもちゃんと振れた。ブランク大きいと思ったが、このリズムも曲も自分に染み込んでいたことに安心した。
ムビラでもただの歌とスラップハンドでも、みんな大盛り上がりで夜更けまで焚き火を囲んで盛り上がる。こういう家族で火を囲むような文化を美しいと思う。
娘は、ずっと火遊びして楽しんでいた。
この4年近く牛の病気が流行ったそうで、30頭近くいた牛が8頭になっていた。ここにいると乳搾りをし新鮮なミルクを飲める。ここの牛も鶏も草や自然なものを食べているので、本当に臭くない。ヤギも捌いて食べた。ここの肉は食べられる。
ここはローデシア時代は白人の農場で、独立後黒人に分け与えられた再入植地なので、植民地時代から残る風車の水汲み場ウイングミルがあるが、2019年は故障していたが今回はよく機能していて牛が集まっていた。
娘たちが産後実家に帰ってきており、生後一ヶ月と生後一週間の赤ちゃんが二人いた。日本で赤ちゃんを抱けることなど殆どないので、娘は大喜びでお世話していた。
コロナ対策かな、トイレの前に足踏み式の手洗い場を手作りしていた。何でも手作り、工夫する。
アフリカ人はどんどん人口を増やす。コロナ感染症で死んだ人などこの村では聞かない。以前と全く変わらない生活に見える。ただ、インフレーションは酷く、4年前は1US$=12ZM$程度だったが、今は4000ZM$ぐらい。例によってみんなUS$を使うので、またZM$は機能していていない。生活は厳しいと言うが、世界中庶民は苦しく貧富の差が広がっていると思う。
US$でみると物価は4年前より大きく動いていないので、日本のインフレよりましに見える。

| ジンバブエでの日々 | 23:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジンバブエの旅 その1

ハラレの空港では、前情報通り変わらず$30でビザがとれ、コロナ制限は全く無かった。ジンバブエドルは機能していなくて、US$がそのまま使える時代にまた戻っていた。物価は、4年前とそんなに変わっていないと思えた。
タクシーでマシンゴロードの長距離バス乗り場、ブジラウンドアバウトに行けば、バス乗り場はボッカに変わったと言われ驚いた。
バスに乗り込めば、乗客に4,5人同じリンガ村の住人がいて、「エリカ、アマイブーレ」と声を掛けられ安心した。
リンガ村ビレッジ7の2015年に1年暮らしていた家は、夫の長男ベナートが妻と二人の子供と暮らしている。
4年ぶりなので、前回赤ちゃんだった子がもうおしゃべり盛んなお転婆な子に育っていた。村の住人は、死んでしまった人も別れた夫婦もいたが、大きく変わらず、私のショナ語も思ったより覚えていた。
ベナートは、牛もなく一人畑を耕し、ほぼ自給自足で暮らしている。ここでは月$20もあれば、家族で暮らせる。みんな結婚し子供を作っている。乾季なので、ベナートは現金を作るため例年通り川で焼きレンガ作りをしていた。中には、現金を求めて首都や他の都市、南アフリカへ行ったり、長距離運転手、金鉱掘りなどの仕事に行ったりし、現金を手に入れている人もいる。でも、多くの人がこんなただ毎日を食べるものを作って、慎ましく暮らしている。
ここの暮らしは、ほぼ現金がなくとも生きていける。人々は、日の出とともに起きて、暗くなれば寝ている。穏やかな時の流れがある。
日本で収入を必死につくり、ごっそり税金で持っていかれる生活の貧しさを思ってしまう。
娘は、ベナートの子や近所の子と遊ぶ。キッチンの火で遊んだり、持ってきた水風船ではしゃいだり。もう「来年も来ようね。楽しい」と言われてしまった。
娘を連れて移住したときは、娘は2歳だったので、ベナートの娘をみているとあの頃を思い出す。
村を歩けば、殆どブーレ家の血縁者なので、いろいろな家の人が娘の顔を見たがった。随分成長したね、お父さんに鼻がにている、など。娘も「ずっと大人になってもこの村に来て、この自然やみんなの暮らしがどうなって行くのかみたいな」なんて言っていた。

| ジンバブエでの日々 | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私達はどう生きるか

ジブリの「君たちはどう生きるか」を見てきた。
ジンバブエに4年ぶりに行く前にこの映画を見れて、本当によかった。ジブリ映画が心に響くようになったのは、子供が産まれてからだ。
美しい色の表情や間で心に染みてくるファンタジーだった。主人公の彼は、自分で積み木を積み上げられる異世界の王になることより、ウソも悪も矛盾も含んだ現世界の中で自分の人生を作っていくことを選んだんだと思った。

そして、私は苫米地英人さんの新刊「超国家権力の正体」を読み終わった。アフリカに関わり20年以上、大航海時代から今に続く搾取の歴史と歴史の通説の嘘は、知識としても実感としても知っているし、今の権力者たちの陰謀に繋がっている。私達は今ここにある世界がどう作られたのか、真実の歴史を学び、そして自らアクションしていかなければ、奴隷の人生が続いて行くだけ。このアンフェアな世をどう生きるか。
やはりいつも「私達はどう生きるか」と自分に問いている。

| 日々のこと | 23:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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のこり30年の生き方

娘が11歳の誕生日を迎え、同じ7月生まれの私は49歳になった。50歳目の前に、私は今年ひとつの目標を決めた。

20歳で看護師になったので、約30年ナースをしてきたが、80歳まで働くとして、残り30年は自然療法家を生業にする。

もともと27歳で旅に出た時点で、西洋医学にも看護界からも足を洗いたかった。でも、ムビラや絵などをする軍資金に看護は常に手っ取り早かった。今も同じ。常に看護の仕事は、金銭的には私を潤した。しかし、もともと2011年にマクロビオティック師範を取ったように、私は自然療法や東洋医学を中心に、人々の健康を助けるのが願いだった。
看護は、常に医師の指示で動いている。医師はどうかというと、マニュアルに沿って、指示を出している。その医療は対症療法で、詐欺みたいなもの。治りはしない。今や医療は悪徳ビジネスだ。
特にコロナのワクチン接種や輸血、ステロイド剤、抗生剤など指示に従っているときの虚しさ。ナースの私は、悪の手先だ。

かつてマクロビオティックを基礎に食箋を出せる自然療法家になりたかった。マクロビの陰陽論、身土不二、一物全体という哲学は真理だと思う。しかし、コロナ禍を通じて、社会毒の多いこの世の中で、いかに毒を取らないか、いかに毒を排泄するかが、大切だと考えるようになった。

自然療法も数多ある。その中で自分らしくできることを探すと、イトウテルミーに行き着いた。
この温熱療法は、マッサージと温熱とアロマテラピーを同時に与える。経絡を狙って鍼灸的な使い方も、足裏の反射区を狙って官足法的な使い方もできる、子供やターミナル期の体力のない方へは、優しく擦るようにもできる。火の強さ、道具の動かす強弱で、症状に合わせられる。
人は温める血行を促し、各臓器が機能していけば、治癒しておのずからバランスを取っていく。

我が家は築50年ぐらいの古民家。ここを施術所として、私の自然療法院に集った人たちと、味噌を作るワークショップをしたり、田んぼ活動に誘って会員を増やしたり、野草を摘みに行ったりしたい。
この社会を国を子供たちに平和な世を残すための活動だってできるだろう。

私は、未だただのナース。イトウテルミーを独学しているが、資格はまだ取れていない。ただの決意表明だ。
ナースからは、なかなか足は洗えないだろう。子育てにも益々資金がいるから。でもいい。ゆっくり10年ぐらいかけてフェードアウトさせる。そして、私は、自然療法家として生きる。



| 自然療法 | 13:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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4年ぶりのジンバブエ

最後にジンバブエにいけたのは、2019年の夏休み中。娘は小学1年生だった。私は13回、娘は6回ジンバブエに行っている。1年間ジンバブエの村で暮らしたこともあったが、私と娘は日本とジンバブエを往復することに馴染んできた。この4年、日本だけにいて、非常に閉塞感があった。
幸いなことに、ハラレの日本人の友人によれば、ジンバブエのコロナ規制は全廃されたらしい。航空チケットもコロナ前より5万円は値上がったが、今は円安が最大の問題か。

私はジンバブエの夫に、もはや関心はない。私をママと呼ぶ夫の子供たちの成長は見つめていたい。ムビラも変わらず好きだが、かつてのようにパフォーマンスしたり、普及に努めたりはもうしないと思う。
稼ぎ、家を整え、娘を育て上げることが、最優先。そして、時代は平和ではなくなってしまった。いかに娘たち子供に健康で人間らしい自然な社会をを残せるかのほうに努力したい。

それでも私達がジンバブエに行くのは、やはり人だろう。娘には暮らして来た家の近所にも、いつもホームステイをするチアニケの孫たちとも、幼馴染と言っていい絆がある。娘はこの4年で40cmほど背が伸びて成長した、村の子たちもそれぞれ成長しただろうな。娘が日本にいる時も、ジンバブエでは知り合いの誰かも生活していて、世界は生き生きと躍動している。そういう人と結ばれている感覚は、観光したりするよりずっと大切だと思う。
私は、とにかくあの自給自足の村の空気が好きだ。電磁波もなく、水も空も清々しい。
写真は4年前のもの。こんなに娘が、小さかったのかぁ。

私は、もうムビラ活動はしないので、チアニケのムビラを買ってあげることもできず、ジンバブエの知り合いたちに儲けをあげられないのだが、どなたかムビラに興味ある人がいたら買い付けしてきます。






| ジンバブエ ミュージック | 21:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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