fc2ブログ

元氣メグル日々 エリカのブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その1

ハラレの空港では、前情報通り変わらず$30でビザがとれ、コロナ制限は全く無かった。ジンバブエドルは機能していなくて、US$がそのまま使える時代にまた戻っていた。物価は、4年前とそんなに変わっていないと思えた。
タクシーでマシンゴロードの長距離バス乗り場、ブジラウンドアバウトに行けば、バス乗り場はボッカに変わったと言われ驚いた。
バスに乗り込めば、乗客に4,5人同じリンガ村の住人がいて、「エリカ、アマイブーレ」と声を掛けられ安心した。
リンガ村ビレッジ7の2015年に1年暮らしていた家は、夫の長男ベナートが妻と二人の子供と暮らしている。
4年ぶりなので、前回赤ちゃんだった子がもうおしゃべり盛んなお転婆な子に育っていた。村の住人は、死んでしまった人も別れた夫婦もいたが、大きく変わらず、私のショナ語も思ったより覚えていた。
ベナートは、牛もなく一人畑を耕し、ほぼ自給自足で暮らしている。ここでは月$20もあれば、家族で暮らせる。みんな結婚し子供を作っている。乾季なので、ベナートは現金を作るため例年通り川で焼きレンガ作りをしていた。中には、現金を求めて首都や他の都市、南アフリカへ行ったり、長距離運転手、金鉱掘りなどの仕事に行ったりし、現金を手に入れている人もいる。でも、多くの人がこんなただ毎日を食べるものを作って、慎ましく暮らしている。
ここの暮らしは、ほぼ現金がなくとも生きていける。人々は、日の出とともに起きて、暗くなれば寝ている。穏やかな時の流れがある。
日本で収入を必死につくり、ごっそり税金で持っていかれる生活の貧しさを思ってしまう。
娘は、ベナートの子や近所の子と遊ぶ。キッチンの火で遊んだり、持ってきた水風船ではしゃいだり。もう「来年も来ようね。楽しい」と言われてしまった。
娘を連れて移住したときは、娘は2歳だったので、ベナートの娘をみているとあの頃を思い出す。
村を歩けば、殆どブーレ家の血縁者なので、いろいろな家の人が娘の顔を見たがった。随分成長したね、お父さんに鼻がにている、など。娘も「ずっと大人になってもこの村に来て、この自然やみんなの暮らしがどうなって行くのかみたいな」なんて言っていた。

| ジンバブエでの日々 | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://hayashierika.blog99.fc2.com/tb.php/354-ff9b46d8

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT