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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その3〉 ジンバブエ、リンガ村ビレッジ4B レオナード・チアニケ家

ビレッジ4Bは、昨年住んでいたビレッジ7より、10kmほど幹線道路よりも奥まったリンガ村の端にある。ビレッジ7は19件もの世帯があったが、ビレッジ4Bは9件のみ。その内、4件はチアニケ家という地で、広々としておりとても静かだ。
レオナード・チアニケ氏は、リンガ村でマンダレンダレ・ムビラ・バイブスというムビラグループのリーダーで、昨年ムビラの儀式に一緒に参加して、その多彩なムビラ技術に教えを請いたいと願っていたので、今回3週間弱自宅に住み込ませてもらい、ムビラを教えてもらうことにした。

63歳のレオナード氏の家族は、妻と2歳から18歳までの9人の孫や親戚の子とワーカーという12人だった。5人の子供が、祖父母に孫を預けてハラレや南アフリカに現金を求めて行ってしまっている為で、親の送金や物をもって来ることは年数回で、ほとんどレオナード夫婦が養っていた。
牛も20頭以上、ヤギ6頭、地鳥30匹以上、ウサギと家畜も多く、6ヘクタールの農地で一家一年分のメイズやズング(落花生)ラポコやソルガムの雑穀を育て、この大家族が一年間自給自足できており、大豆は売って現金を得たそうで、農家として豊かと言えた。
今は、ブロイラーチキンの飼育もしており、ここでも現金収入を得ていた。私も昨年ブロイラービジネスに挑戦していたが、地元民とのコネクションがなくうまく地元村民に売りさばけず損失を出していたが、レオナード氏にはチキンが欲しいと電話連絡があったり人脈が生きたビジネスをしていた。
ビレッジ7の家では、私が結婚する前から朝食10時と夕食6時の2食だったが、このレオナード家は9時ポーリッジやサザ、12時チモド(無発酵パン)やライス、18時肉入りサザと3食はあり、15時頃にも軽食やマエウ(雑穀発酵飲料)を提供してくれて、食べ過ぎなぐらいだった。客がいるからこの食事ではなく、通常からこの食事内容だというから豊かだ。
レオナード氏の妻は、この大一家の主婦として料理、洗濯、食器洗い、ドヴィ(ピーナッツバター)を作る作業、ガーデン(野菜の栽培の畑)の手入れ、動物の世話など大忙しの日々だ。この土地は、井戸が深く、ビレッジ7の時は8mで水が出ていたが、ここは13mの掘っており、井戸からの水くみも重労働だった。100mほど離れたところに、植民地時代からある掘削井戸があり風車で自動的に水を汲みだすことができていて、さすが白人農地を没収して黒人に再分配したリッセトルメント(再開墾地)だと思った。

同じクムーシャ(村)暮らしだが、昨年の自分の暮らしと比べると、夫人には動物の育て方も食物の保存の仕方にも知恵があり、昨年都会育ちの日本人の私が子供たちとだけ村に暮らして、貧しい知恵のない暮らしをしていたんだなぁと、振り返ってしまった。
広大な大地、大空、動物たちに囲まれ、自給自足に近い生活。このクムーシャの暮らしの中で、ムビラを弾いている生活は本当に豊かだった
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| アフリカ、ムビラ | 00:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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