元氣メグル日々 エリカのブログ

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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その2〉ジンバブエ、リンガ村ビレッジ7

南アフリカ、ウムタタを出て首都ヨハネスブルグまで13時間。その足でジンバブエのハラレに向かうバスに乗った。ヨハネスブルグからハラレまで、国境ベイトブリッジを抜けて陸路でいくのも10年ぶりぐらいだ。
予定では19時間で着くはずだった。しかし、これまたベイトブリッジの南アフリカ側で4時間、ジンバブエ側で2時間、通貨に時間がかかり、結局24時間のバス旅となった。南アフリカのイミグレーションが職員が少なくて業務が進まないので、深夜長蛇の列で遅々として進まないのだ。もう、ベイトブリッジ通過の旅は、懲り懲り。
バスは、ハラレまで行かずに村の入り口ウエストミニスターで降りて、8か月振りのリンガ村へ帰った。

ビレッジ7の夫の家には、20歳の長男ベナードひとりがいて、夫は今年一月以来村に戻っていなかった。ベナードは首を長くして、私たちを待っていてくれた。近所の大人も子供も、大歓迎で再会を喜んでくれた。
ベナードは、私たちがいなくなった後も、ひとりでメイズの収穫をして自給自足し、野菜を作りハラレで売って現金を作り、生活していた。彼は、夫が出生時に認知しなかった為、15歳で父親の家に来たが本名は母親の性で、出生証明書も父親無記名のままだった。成人し父親のトーテム、マジンバクッパで呼ばれる今、出生証明書を書き換え、IDカードを作ることが彼の願いだったが、今年野菜を売って100ドル以上作り、ハラレで父親、母親を呼び寄せ、裁判所に行って出征証明書を書き換えてIDカードも作ったそうだ。
この願いを実現させたことは、正直私は驚いた。若干、20歳の彼は、日本人の20歳よりずっと自立し自分の人生を切り開いていた。
ジンバブエの子供たちは、両親が現金収入を得るため都市部や海外に出て、村にいる親戚や祖父母に預けられている人が多い為か、子供のうちから料理、洗濯、家畜の世話、農業と家の仕事をし、自立しているのだ。ベナードは、家の貧しさから小学校を修了できなかった。しかし、彼のこの生きていく強さから、自然との生活が人の心も体も強く、逞しくしていくと学ばされる。

久々にビレッジ7の家で、薪を使って料理をして、昨年一年の暮らし慣れた家事を味わった。やはり、この原始的な村の大地からの恵みで生きていく生活が居心地が良い。

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| 未分類 | 00:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

Re: なんだかなぁ。

和さんの場合は、日本関係の仕事でブルキナに行かれていますから、お仕事で忙しくてメイドも必要ですよ。
ジンバブエの大使館、JICAの皆さんも、永住者の日本人もみんなメイドを使っています。
日本にメイドの習慣がないというと、アフリカの人はびっくりしますよね。
私は、ショナ人の夫の生活をそのまま受け止める覚悟で嫁に行ったわけで、その原始的な自然な生活を尊敬し愛したので、ショナ人の伝統的な生活をもっと身につけたかったです。

都市の生活は、ジンバブエでも一緒。断水、停電が日常です。。。日常水を貯めたり、ガスストーブやパラフィンストーブを用意して停電でも料理できるようにしたり。こうなってくると都市生活は、村生活より不便なんですよね。


| ハヤシエリカ | 2016/10/10 01:12 | URL |

なんだかなぁ。

エリカさん、ブルキナの和です。
投稿、とっても楽しみに待っていました!!!

家事かぁ・・・。ブルキナファソにいても、私はかぎりなく日本に近い生活をしているのだと改めて感じました。
仕事に集中するため、家事はお手伝いさんまかせ。洗たく・掃除・片付け、、自分のことなのに一切やったことないです。

停電・断水が続くと本当にぐちが多くなるし、滅入る・・。ブルキナファソ人友達のいえも水・電気がないのに、私の家が水がないと、あわててどこそこから、水の調達にはしってくれる・・・。気を配ってくれる。なんだかなぁ。。トホホ。

| 和 | 2016/10/09 01:15 | URL | ≫ EDIT















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