コロナ危機に絵を描く
今年は、国際援助の分野に転職したいと資格試験の勉強に励んで来ましたが、暫く勉強は止めようと、長らく途中になっていた絵を完成させました。絵を描くことは、私にとって瞑想のように雑念を払ってくれます。ムビラの音を聞きながら、幸せな時間でした。
看護師として勤務する介護施設の周囲の病院、保育園、介護施設と職員から陽性者がでた情報が、毎日聞こえてきます。いつ自分達の施設に陽性者がでて、自分が濃厚接触者になったり、感染してもおかしくない。マスク、アルコール類、物品は不足しています。こんな時でも介護の必要な入所者は、変わらぬ日常を生きていて、私たちも変わらず働かなければと、使命感を持ちます。しかし、仕事に今までにないストレスを感じているのが、正直な思いです。
世界は変わりましたね。いつ健康を害するか分からない中で、既成の資格試験の勉強をすることに、今は無意味さも感じました。
このコロナ危機の後、既成の社会経済の枠組みは維持されるでしょうか。私は、どちらかというと、私たちアフリカに関わる人や民族音楽文化、自然療法、旅人などが求めて来たような、生活レベルを落とし、環境破壊を止め、ゆっくりとした時間を取り戻す世に変わっていくと思っています。
人は今、ソーシャルディスタンスといい、距離を持って生活しています。しかし、オンライン教育もテレワークも、インターネットの世界は、ごまかし出しかない。真実ではない。人は真実出なければ、魂は心は揺すぶられず、幸せは感じられません。このインターネットの世界ですべては解決しないことを、自覚する必要があります。
どんなに機械が発展しても、看護も保育も機械では人は癒されません。教育も社会性や心は成長できません。音楽は形を持っていて、その波動は心を揺すぶられます。どんなに映像をみても、その土地の匂い、温度、雰囲気を伝えられません。
コロナ危機の後、人がもっと本質的なものの為に生きられるように、今は恐れず看護の仕事に向かおう、絵を描こう、ムビラを弾こうと思います。

看護師として勤務する介護施設の周囲の病院、保育園、介護施設と職員から陽性者がでた情報が、毎日聞こえてきます。いつ自分達の施設に陽性者がでて、自分が濃厚接触者になったり、感染してもおかしくない。マスク、アルコール類、物品は不足しています。こんな時でも介護の必要な入所者は、変わらぬ日常を生きていて、私たちも変わらず働かなければと、使命感を持ちます。しかし、仕事に今までにないストレスを感じているのが、正直な思いです。
世界は変わりましたね。いつ健康を害するか分からない中で、既成の資格試験の勉強をすることに、今は無意味さも感じました。
このコロナ危機の後、既成の社会経済の枠組みは維持されるでしょうか。私は、どちらかというと、私たちアフリカに関わる人や民族音楽文化、自然療法、旅人などが求めて来たような、生活レベルを落とし、環境破壊を止め、ゆっくりとした時間を取り戻す世に変わっていくと思っています。
人は今、ソーシャルディスタンスといい、距離を持って生活しています。しかし、オンライン教育もテレワークも、インターネットの世界は、ごまかし出しかない。真実ではない。人は真実出なければ、魂は心は揺すぶられず、幸せは感じられません。このインターネットの世界ですべては解決しないことを、自覚する必要があります。
どんなに機械が発展しても、看護も保育も機械では人は癒されません。教育も社会性や心は成長できません。音楽は形を持っていて、その波動は心を揺すぶられます。どんなに映像をみても、その土地の匂い、温度、雰囲気を伝えられません。
コロナ危機の後、人がもっと本質的なものの為に生きられるように、今は恐れず看護の仕事に向かおう、絵を描こう、ムビラを弾こうと思います。

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