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元氣メグル日々 エリカのブログ

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ジンバブエ滞在記8月23日~9月9日

8月23日
ジンバブエではメイズ(トウモロコシの一種白くて硬い)が主食。
メイズは10月頃種を撒き、3月頃収穫される。外皮を剥がして、天日で干して、8月末頃脱穀してメイズの粒だけにする。
その脱穀作業を連日一家総出で作業するので、私も手伝う。ここの農業はすべて手作業。畑を耕すのが牛なら、種蒔きも一粒ずつ人が撒く。脱穀も棒で叩くのみ。マグリと呼ぶ心の部分と実が剥がれるが、私はマグリを集め畑のゴミ場所へ持っていく作業をしていた。とにかく棒でメイズを勢いよく叩く、その原始的な作業。
チアニケ家では、80Lの袋が60袋程度出来るぐらい収穫できていた。1袋12ドル程度で政府に売る。

ここの農業は重労働だ。不合理かもしれない。村の農業を捨てて、都市部や外国に行く若者も多い。しかし、私が美しいと思ってしまう。機械化された生活を絵に描きたいとは思わないが、このクムーシャは水汲みから囲炉裏での料理から農業のすべてがゆっくりと人の手によってなされている。人の手作業によってなされたものは、美しいのだと、ここで生活をしていると実感する。

15年前放浪の旅に出たときから、旅で出会った人々の生活を描いてきた。今は仕事と育児の方が優先で絵は描けていないが、一生かけてこのジンバブエでの村の生活を描きたいと思っている。子育てが落ち着いたらクムーシャと題した個展でも開きたい。

ムビラも以前から伝統文化を継承するのみで、それを日本人として表現しなくてもいいのかと言われる。いいのだ。ムビラは瞑想であり、祈りなのだから。その境地に自分があり、精霊とのつながりを少しでも作れればそれでいい。
お経やマントラに個性的な表現は必要だろうか。物体を超え、精霊や大宇宙と一体化した平和な境地があればいい。
チアニケがムビラ以外の楽器に興味がない、と言っていた。(ホーショウや太鼓などムビラ音楽をサポートするものは、好きだろう。)なぜなら、精霊とつながらないからだと。ムビラ奏者は、みんなスピリチュアルだ。

ハラレに住む日本人の友人と毎年会うが、このクムーシャに毎年通う境地を共感できない。大自然とともにあって、自分の体内の自然と一体化した生活以上には、幸せな境地はないと感じる。このクムーシャの生活は幸せだ。


8月30日
村では、動物たちの出産が相次いだ。村の生活では、生き物たちの生死が身近だ。

牛は草原で勝手に出産し、子牛を連れて戻ってきた。家の牛追い(クモンベ)をする少年たちは、見守っていたようだが。

鶏も15個卵を産んで3週間程暖めて、10匹雛が生まれた。母親について回って、母親のお腹の中で守られて眠って「人間も鶏もママが好きなんだね」と娘は観察している。しかし、5個は孵らなかった。ひとつは殻を一部破って死んでしまった。家の犬に上げたら、もう雛の形をしていて、犬はガリガリと骨を噛みながら一口で食べてしまい娘と驚いてしまった。他の孵らなかった卵も、割ってみたら背骨ができていたり、全く普通の卵で早い段階で死んでしまっていたり、雛になれるのは貴重なんだと思わされた。

ウサギもツロと呼ばれるが、5匹子供を産んで、毎日目を開けるようになったとか、成長をみていた。しかし、家の犬が、夜にウサギ小屋の一部に穴を開けて、全部食べてしまった。朝起きたら、子供がいなくなって、これまた驚いた。

チバゲを保管している場所から、ネズミが発生。娘は他の子達と共に、棒をもって追いかけて、逞しくネズミを叩き潰していた。
私はムビラを弾いたりして過ごしているが、村は一日中村の子達と走り回っている。「バッターの小さいのも皆ニャマ(肉)といって採って食べているよ」と教えてくれる。娘も知らぬ間にバッタを採ったり、食べたりしれているらしい。

都市の生活では、自分の生死さえ身近に感じられにくい。人も動物も、生きる生々しさが感じられる村の日常。
大自然と類似の自然が自分の中にあり、そのバランスがとれることが健康であり、幸せを感じられるのだと、私は信じる。
私にも娘にも、このジンバブエの村で生活する時間は、心身共に生きるということを教えてくれる大切な時間だ。

写真は、一匹3ドルで買った近所のダムで採れた魚。鯰に近く泥臭いが美味しい。


9月9日
2ヶ月弱のジンバブエ滞在が終わり帰国間近。

今回のハラレで$40両替したら60ボンドノーツになった。レートの差は広がっているように感じる。宿でチェンジしようとしたら、「今はボンドノーツが足りないのでちょっと待って欲しい」と言われた。昔ジムドルのハイパーインフレーションの時に闇両替できる場所を探したり、両替商が調達してくるのを待ったりした懐かしい感覚を思い出した。
「この金には期限があるんだ。いつだて政府が使用期限が終わったって言い出すか分からないよ」と人々は言っている。確かに前のジンバブエドルもベアラーズチェックと呼ばれていて、正式な通貨ではなかった。今回もボンドノーツを使い切ろうと思うのだった。

ハラレで過ごすのに久しぶりにハラレ最大の市場ムバレムシカに行ってきた。娘にうるさいムバレの人々や少々治安の悪さに、怖い思いをさせたくないと思って娘が生まれてから行っていなかった。人々はアフリカミックスの娘を連れて歩くと仕切りに声をかけて来るが、娘は「ンノンジ チェナイ(私の名前はチェナイです)」と答え楽しそうに対応していた。ジンバブエではショナネームで答えたほうがいいと彼女は学んだらしく、チェナイとかアニェンバ(シマウマトーテムの娘)とか自分のことを話していた。「ムバレって面白いね。また行こうね。」と言っていた。フレンドリーな性格の子で本当に良かった。写真は、風邪によく効くズンバニティーを求めて行ったムバレのナンガ(伝統的薬草師)のコーナーにて。

リンガ村では、お世話になったムビラの師匠チヤニケが最後の晩、家族のメンバー全員参加でムビラを弾いて踊って、私の出発を祈ってくれた。振る舞われた嗅ぎタバコのブーテの匂い、セクル・チアニケの歌声。心に染みた。
娘も仲良しの家の子供たちが踊るので一緒に踊る機会が数回あり、なかなか面白く踊るようになり、日本でムビラライブに連れていくのが楽しみになった。
「ママが仕事忙しいしジンバブエにもういかないと言っても、私は来るよ。大きくなったらムビラ弾くんだ」と娘。
ママは、もう16年もムビラを深めたい一心でジンバブエに通っているんだよ、時間とお金を作って一生通うよ。

| ジンバブエでの日々 | 04:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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