10回目のジンバブエ
明日から9月一杯、南アフリカ、ジンバブエに行ってきます。
この2週間、娘は風邪で外遊びもイベントにも行かず安静にしていたのに、中耳炎にもなり、耳鼻科医に大量の薬渡され、長い道中やや気が重いです。
娘は、日本に帰っても一緒にムビラやアフリカのイベントに度々行くためか、「私、アフリカの子よ。ジンバブエの子なの」とよく言うため、アフリカに偏見をもつ祖母に「日本人です!」ときつく言われてしまう。
私は、娘が羨ましい。この子には、アフリカの祖先の霊と日本の祖先の霊が見守ってくれていて、一気に国籍も人種も越えられる。
娘が育つにつれ、この子のルーツはアフリカにもあり、自分はどこから来たのかを確認するためにジンバブエに行かなければとも思う。この子は、日本に育ってもシマウマトーテムの人なのだ。
今回のジンバブエでも、私たち首都ハラレから80kmのリンガ村に帰る予定。
夫は村にいないようだけど、長男が1人で暮らしている夫の家には長くは住まずに、村のムビラ奏者の家に滞在予定。
日本定住を決めた今、20年近くし続ける看護師という仕事は、有意義だ。歳をとるごとのこの仕事は、どんな生命も人生も唯一無二だ、愛おしいと思える命と関わる毎日に、若い頃より、ナースになって良かったと、思えるこの頃なのだ。そして、この仕事は、経済面でも私たちの生活を支えてくれる。
でも、これは二十歳でナースになってからずっと思うこと。時間に追われ、目まぐるしく頭を働かせ、動き回り、身も心も慌ただしくて、私は自然から切り離され、自分の魂の自由さを失ってしまう。
日本の医療も教育も政治も、経済性、合理的性を目指しすぎ、魂や霊の存在を無視しているところに、現代の多くの問題を解決できないところだと思うなぁ。
物質界以上に、霊的世界は個人の人生にとって重要だと思う。
日本での生活に、ムビラやアフリカの絵を描くことは、救いになってきたけど、今の子育て中心の日々では、まるで個人の魂の自由を求める時間はない。
せめて、年一回一ヶ月ぐらいは、アフリカで過ごしたい。アフリカ、ジンバブエでなくても、魂の自由を感じられる場所はあるのかもしれない。でも、ムビラの世界もまた自分に身に染みた世界で、容易に不足ない魂の自由さを感じさせてくれる。そして、あのジンバブエの村には、すべてがある。空と草原の中で、人類がどこから来たのかを感じさせてくれる。
村の生活を思うと、今でもどうして私は日本に帰って来てしまったのだろうと思う。どうすればよかったのかな、など過ぎた日を振り返ることがあるが、もう過ぎた日だ。
ただ、せめて私は、ムビラの中で、自分の魂の自由や祖先との繋がりを感じたい。
娘は、ジンバブエの記憶は断片的にあるが、ショナ語はすっかり忘れ、日本語で実に論理的に話すようになった。以前の言葉のいらない友人関係ではなく、友人と言葉遊びを楽しむ。娘が言葉の通じない友人や兄弟とどう過ごし、何を感じるか楽しみだ。
数えてみれば、私にとって10回目の渡ジンバブエ。娘は、4歳にして3回目。
この2週間、娘は風邪で外遊びもイベントにも行かず安静にしていたのに、中耳炎にもなり、耳鼻科医に大量の薬渡され、長い道中やや気が重いです。
娘は、日本に帰っても一緒にムビラやアフリカのイベントに度々行くためか、「私、アフリカの子よ。ジンバブエの子なの」とよく言うため、アフリカに偏見をもつ祖母に「日本人です!」ときつく言われてしまう。
私は、娘が羨ましい。この子には、アフリカの祖先の霊と日本の祖先の霊が見守ってくれていて、一気に国籍も人種も越えられる。
娘が育つにつれ、この子のルーツはアフリカにもあり、自分はどこから来たのかを確認するためにジンバブエに行かなければとも思う。この子は、日本に育ってもシマウマトーテムの人なのだ。
今回のジンバブエでも、私たち首都ハラレから80kmのリンガ村に帰る予定。
夫は村にいないようだけど、長男が1人で暮らしている夫の家には長くは住まずに、村のムビラ奏者の家に滞在予定。
日本定住を決めた今、20年近くし続ける看護師という仕事は、有意義だ。歳をとるごとのこの仕事は、どんな生命も人生も唯一無二だ、愛おしいと思える命と関わる毎日に、若い頃より、ナースになって良かったと、思えるこの頃なのだ。そして、この仕事は、経済面でも私たちの生活を支えてくれる。
でも、これは二十歳でナースになってからずっと思うこと。時間に追われ、目まぐるしく頭を働かせ、動き回り、身も心も慌ただしくて、私は自然から切り離され、自分の魂の自由さを失ってしまう。
日本の医療も教育も政治も、経済性、合理的性を目指しすぎ、魂や霊の存在を無視しているところに、現代の多くの問題を解決できないところだと思うなぁ。
物質界以上に、霊的世界は個人の人生にとって重要だと思う。
日本での生活に、ムビラやアフリカの絵を描くことは、救いになってきたけど、今の子育て中心の日々では、まるで個人の魂の自由を求める時間はない。
せめて、年一回一ヶ月ぐらいは、アフリカで過ごしたい。アフリカ、ジンバブエでなくても、魂の自由を感じられる場所はあるのかもしれない。でも、ムビラの世界もまた自分に身に染みた世界で、容易に不足ない魂の自由さを感じさせてくれる。そして、あのジンバブエの村には、すべてがある。空と草原の中で、人類がどこから来たのかを感じさせてくれる。
村の生活を思うと、今でもどうして私は日本に帰って来てしまったのだろうと思う。どうすればよかったのかな、など過ぎた日を振り返ることがあるが、もう過ぎた日だ。
ただ、せめて私は、ムビラの中で、自分の魂の自由や祖先との繋がりを感じたい。
娘は、ジンバブエの記憶は断片的にあるが、ショナ語はすっかり忘れ、日本語で実に論理的に話すようになった。以前の言葉のいらない友人関係ではなく、友人と言葉遊びを楽しむ。娘が言葉の通じない友人や兄弟とどう過ごし、何を感じるか楽しみだ。
数えてみれば、私にとって10回目の渡ジンバブエ。娘は、4歳にして3回目。
| アフリカ、ムビラ | 16:40 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑