伝統宗教とクリスチャンについて
ショナ族の伝統的な宗教は祖霊信仰であり、ムビラという楽器はその伝統宗教の中にある。しかし、近年、キリスト教一派に信仰を移す人が多く、私の住む村でのムビラの儀式が行われることはとても少ない。15キロほど離れたチャーター村に、ヴィリナガレという強力なスピリットが降りた少女の霊媒師がいるが、訪れる人が少なく、人々の信仰が薄れていると彼女を支える人が夫の所へ相談に来たこともあった。
ある日、私は夜に一人でハラレから帰らねばならないことがあった。5時過ぎからの人々の帰宅ラッシュに捕まり、バスになかなか乗れず、とうとう幹線道路と村に繋がる道に着いたのは、夜中の9時過ぎだった。覚悟を決めて携帯電話の灯りだけで、家までの6キロの道を歩きだした。そうしたら、「アマイドレッド、こんな夜中に歩けるか」と、やはりハラレから帰宅しようとするビレッジ5の男性が声を掛けてきてくれた。村に住む外国人は私一人なので、みんな私を知っているらしい。ジンバブエ人は恐ろしく眼がよい。こんな夜更けでもよく見えるらしいが、私が多分彼が居なかったら、道を違えて森に入り迷っていただろう。
彼は熱心なキリスト教一派のアポストリーだった。
「昔は伝統の祖先の霊を信仰していた。でも、時代はスピードを求めている。クリスチャンはダイレクトに直接この世を創造した神に繋がれる。しかし、伝統宗教は多くの霊を介して行かないと神の元へ辿り着かない。クリスチャンのほうが早い。」そう彼は改宗した理由を話してくれた。
私はこの西洋的な合理主義が、資本主義という富めるものが富を搾取していく社会を生み、植民地政策を生み、強欲に自然を破壊しているように思っている。
日本の八百万の神もそうだが、自然の中に沢山の神がいて、沢山の祖霊達に見守られて、生活していると感じる方が自然だと思う。私たちの世界は、人間だけでなくバクテリアから虫、動物まで複雑に関係し合って生きているにだから。
私は毎日、クスカと呼ぶ屋外の台で、食器を洗っている。犬や鶏たちは残飯だけで生きているので、犬や鶏が集まってくる。こうして私たちの食べ物だって、分け与えられていき、みんな一緒に生きているんだと毎日感じる。こんな複雑に関係し合う世界で、どうして一人の創造主を信じられるのか。
ハラレでは、親族の通う教会について行った。2012年から始まったというYADHAという教団で、TVチャンネルも持っていて、親戚のどの家にも彼らのステッカーが貼られ、みんな教団のリストバンドをしている。ウォーターフォールズというハラレ郊外で、5000人は入りそうなバラックが人で埋め尽くされていた。いくつものフラットテレビで中継カメラからの映像が映しだされる。ステージでスングーラミュージック調でアーメン、ジーザスとバンドが奏でる音楽のレベルの高いこと。PA機器は良質で迫力ある音が響く。人々は、踊り歌い大興奮。このちょっとしたコンサートのあとに、伝道者マガヤ氏が登場。彼が説教を始めると、今まで杖をついていた人が歩けたり、痙攣して転げ回る人が続出。その様子もカメラが追い、大画面に映し出される。壁には奇跡によって不要になった杖が所狭しと飾られている。凄い宗教ビジネスになっていて、人々の熱狂はすごかった。親戚は、週3回も通い詰めている。無職だし、音楽があって、ポジティブなメッセージがあって、家にいるよりいいと思っている様子。
この教団もスピードや成果を求めていた。
ジンバブエも西洋を見習い、経済的豊かさを人々は求めているが、
貧富の差は拡大するばかりの西洋的資本主義を追従しても幸せな社会はこないだろうに。確かに生活はみんな厳しく、現金を求めている誰もが必死になっているのだが。
村もハラレもクリスチャンだらけだが、私の心には響かない。私は日本は古来からの祖霊信仰で、ご先祖さまが見ていると思って、自分を律することを、祖父母などから教わった。その感覚とムビラのもつ祖霊信仰は近く私に気持よく馴染んでいく。ムビラ文化を信仰する者が、すべては祖先の魂の導きによるとよく言っている。私が夫と結婚したのも、私たちの祖先の魂が話し合って導いたものだと、思っている。
夫は、結局1ヵ月以上帰宅していない。この結婚生活に困難は多い。しかし、私には彼とムビラという信仰を共有している。祖先の魂たちは、私たちが共に暮らせる日々へ導いているくれるだろう。互いに努力と時間がもっと必要なのだろう。アフリカンタイムで行こう。
ある日、私は夜に一人でハラレから帰らねばならないことがあった。5時過ぎからの人々の帰宅ラッシュに捕まり、バスになかなか乗れず、とうとう幹線道路と村に繋がる道に着いたのは、夜中の9時過ぎだった。覚悟を決めて携帯電話の灯りだけで、家までの6キロの道を歩きだした。そうしたら、「アマイドレッド、こんな夜中に歩けるか」と、やはりハラレから帰宅しようとするビレッジ5の男性が声を掛けてきてくれた。村に住む外国人は私一人なので、みんな私を知っているらしい。ジンバブエ人は恐ろしく眼がよい。こんな夜更けでもよく見えるらしいが、私が多分彼が居なかったら、道を違えて森に入り迷っていただろう。
彼は熱心なキリスト教一派のアポストリーだった。
「昔は伝統の祖先の霊を信仰していた。でも、時代はスピードを求めている。クリスチャンはダイレクトに直接この世を創造した神に繋がれる。しかし、伝統宗教は多くの霊を介して行かないと神の元へ辿り着かない。クリスチャンのほうが早い。」そう彼は改宗した理由を話してくれた。
私はこの西洋的な合理主義が、資本主義という富めるものが富を搾取していく社会を生み、植民地政策を生み、強欲に自然を破壊しているように思っている。
日本の八百万の神もそうだが、自然の中に沢山の神がいて、沢山の祖霊達に見守られて、生活していると感じる方が自然だと思う。私たちの世界は、人間だけでなくバクテリアから虫、動物まで複雑に関係し合って生きているにだから。
私は毎日、クスカと呼ぶ屋外の台で、食器を洗っている。犬や鶏たちは残飯だけで生きているので、犬や鶏が集まってくる。こうして私たちの食べ物だって、分け与えられていき、みんな一緒に生きているんだと毎日感じる。こんな複雑に関係し合う世界で、どうして一人の創造主を信じられるのか。
ハラレでは、親族の通う教会について行った。2012年から始まったというYADHAという教団で、TVチャンネルも持っていて、親戚のどの家にも彼らのステッカーが貼られ、みんな教団のリストバンドをしている。ウォーターフォールズというハラレ郊外で、5000人は入りそうなバラックが人で埋め尽くされていた。いくつものフラットテレビで中継カメラからの映像が映しだされる。ステージでスングーラミュージック調でアーメン、ジーザスとバンドが奏でる音楽のレベルの高いこと。PA機器は良質で迫力ある音が響く。人々は、踊り歌い大興奮。このちょっとしたコンサートのあとに、伝道者マガヤ氏が登場。彼が説教を始めると、今まで杖をついていた人が歩けたり、痙攣して転げ回る人が続出。その様子もカメラが追い、大画面に映し出される。壁には奇跡によって不要になった杖が所狭しと飾られている。凄い宗教ビジネスになっていて、人々の熱狂はすごかった。親戚は、週3回も通い詰めている。無職だし、音楽があって、ポジティブなメッセージがあって、家にいるよりいいと思っている様子。
この教団もスピードや成果を求めていた。
ジンバブエも西洋を見習い、経済的豊かさを人々は求めているが、
貧富の差は拡大するばかりの西洋的資本主義を追従しても幸せな社会はこないだろうに。確かに生活はみんな厳しく、現金を求めている誰もが必死になっているのだが。
村もハラレもクリスチャンだらけだが、私の心には響かない。私は日本は古来からの祖霊信仰で、ご先祖さまが見ていると思って、自分を律することを、祖父母などから教わった。その感覚とムビラのもつ祖霊信仰は近く私に気持よく馴染んでいく。ムビラ文化を信仰する者が、すべては祖先の魂の導きによるとよく言っている。私が夫と結婚したのも、私たちの祖先の魂が話し合って導いたものだと、思っている。
夫は、結局1ヵ月以上帰宅していない。この結婚生活に困難は多い。しかし、私には彼とムビラという信仰を共有している。祖先の魂たちは、私たちが共に暮らせる日々へ導いているくれるだろう。互いに努力と時間がもっと必要なのだろう。アフリカンタイムで行こう。
| ジンバブエでの日々 | 21:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑