元氣メグル日々 エリカのブログ

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Money is nothing

私は、ジンバブエの夫に月1回ぐらい彼のビジネスの状態を聞きます。
もし、私がジンバブエに住むことになったら、私自身には収入を得る手段がないので、夫の仕事や収入が頼りです。あの国の人は、1ドルも手持ちのお金がないということは良くあること。砂糖や小麦など日常食するものも買えないときは、みんなただじっと何かしらの収入がやってくるのを待っています。ストックしてあるメイズやドライベジタブル類もあるので、どうにかしのげるようです。ジンバブエには、意外と保存食が多いです。
しかし、私などがいると、家族は私のお金を頼るのです。その調子で頼られても、日本で働いて貯めたお金はじきに底を突くでしょう。
この調子では、私たちのジンバブエでの未来は困難なので、夫にビジネスの様子を聞くのです。

でも、今年は、主な収入であるタバコの値段が下がり、タバコ会社からのローンを返せないままだといいます。ということは、タバコでは、利益が出なかったということでしょうか?
「確かに私は貧乏だ。」開き直る夫。

しかし、彼はこうもいうのです。「Money is nothig」
「私たちは、時に全く現金はない。しかし、私たちはここではお金なしで生き延びることができる。お金のないことで私たちのここでの生活を心配しなくてもいい。貧乏でOKだ。
エリカ、金は何ももっていないことを知るべきだ。もしあなたに愛がないなら、あなたはお金を持っていられるだろう。それは無価値ということだ。私は、お金を持っていてすべてを買えることより、貧乏な生活のほうを好むだろう」

私は彼の言いたい意味は分かります。
彼は、首都ハラレでの生活から、村での農家の生活を選んだ人です。都市の生活より、自然の中の暮らしを好む人です。彼のこういう価値観を私は愛しているのです。

私も、お金はただの紙切れで、それ自体に意味はないと知っています。だから、お金で愛を計ったり、そのために生涯をかけて働いたりしなくてもいい。愛や平和など、お金で買えない大切なものの価値を、私は知っています。
もし、私が金銭的価値を重要視していたら、夫を愛し、アフリカの文化を尊敬することはなかったでしょう。


彼は、自分に現金がないときも誇り高いです。時に、開き直りかと腹が立つこともありますが。
私の実家の母などは、「お金に困ることは惨めだ」といい、夫の生活を認めることはありません。
この日本で、充分自給自足の暮らしができそうな地域でも、自然はすべてを与えてくれて、貨幣経済というものは幻想なんだと、言ってくれる人は極わずかです。

今の私は看護師の仕事に追われて生きています。
可愛い盛りの娘を、保育園に朝7時半から夕方6時まで月曜日から土曜日まで預けて、娘に接する時間は朝の1時間と夜の2時間のみ。
幸いに娘は保育園を楽しんでくれます。しかし、私の毎日はクタクタです。そして、いつも採血、注射、ワクチン、抗生剤、降圧剤だと、薬漬けの西洋医療に対する疑問は根強く、私は看護婦としての知識と技術はあっても、不適応者なのです。
絵の創作もムビラを弾くこともできない生活。
私は、こんな看護師の仕事を1年以上は続けられないと思うのです。ほかの同僚のように何十年も同じ職場で休みなく、仕事を人生の中心に働くことなんてできない。収入はあっても、心は豊かではありません。
夫のいうように、心の満たしを失った愛のない生活の中でお金があっても、それは人生において意味がないのです。
もし、夫のビジネスが順調でなくても、夫とともに1ドルもない生活をして、村で自給自足して、ジンバブエで生きたようと思うのです。

しかし、私は1ドルも持っていないような生活をしたことはないのです。所詮、都市部に生まれ育った日本人なのです。子供の将来の教育費も心配です。
そして、私はまた夫にビジネスの様子を聞くでしょう。そして、自分の日本での収入や貯金残高を数えるでしょう。

お金との付き合いは、本当に難しいものです。

写真は、島のばら祭り。1歳10ヶ月の娘は、身長86.4cm、体重12.5kgです。これは日本人の3歳児の平均値ぐらい。足が長いので、ズボンなら100サイズも着こなします。去年3歳ぐらいまで着れると思って買ったアフリカンドレスが、もう限界です。まだ良くしゃべれないし、オムツだけど、可愛い私の愛生音は、すっかり見た目が幼児です。
IMG_0120s.jpg

| アフリカ、ムビラ | 02:29 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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