元氣メグル日々 エリカのブログ

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熊野詣

憧れの熊野へ参ることができました。
熊野三山の速玉、那智、本宮の宮はもちろん、神倉、花の磐、神内、平井薬師などの巨石の下に祠を作った神々しい場所も数々訪ねることができました。これも友人たちのお蔭です。
磐は、女性や男性の性器を模しているものが多かったです。このような神聖な場所に立つと、この世を作り見守っている大いなるが、すべての命を生み出したのだと感じます。私たちの命も、大いなるものから授かった命なのだ、意味があって生まれ今を生きているのだと思わせられます。
神や仏の名前を付けたり、何にご利益があるのか、そんな人為的なものが始まる前の、信仰の原始を熊野は残していて、感動しました。
私は、ジンバブエを思っていました。ジンバブエのような空と岩、古来から続く生命の連なりを感じる信仰が熊野にもありました。
1歳4ヶ月の娘、愛生音は10kgを超えたけれど、この子を背負って熊野古道も少々歩くことができました。聖なるエネルギーを受けると、人は元気になりますね。まだまだ娘を背負って歩けるぞ、と自分の体力に自信を持てました。娘も那智の滝などでは神聖な場に反応しているのか、いちいち大声を上げていました。古道も一生懸命歩いてくれました。
娘には、世界の神聖な場所に多く接してほしい。神が作った自然と、自分の中の自然に祈り、感謝して、生きている幸せを一杯感じて生きてほしい。
娘は神社をたくさん参詣して、柏手を打つことを覚えたようです。帰宅して、一人で思い出してパンパン、と柏手を打っていました。可愛い~。

今日は、溝の口で河瀬直美監督の「玄牝」という自然分娩で有名な吉村医院のドキュメンタリー映画を見てきました。親子で見られる上映会だったので、娘と一緒に見れましたが、まぁ娘が他の子をみて興奮して動きすぎて追い駆けながら見ていました。
映画を見ながら、娘を産んだときの喜びを思っていました。
また、熊野の性器の形をした数々のエロス溢れる艶やかな巨石の祠たちを思っていました。
吉村先生の「生を受け止めることは死をも受け止めること」という言葉が胸に残りました。妊娠出産とは、母体も子も死と隣り合わせ。新しい生の入り口は、死の入り口でもある。
私たちの中に、神が存在している。
そういうことを、熊野も「玄牝」も教えてくれました。
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