元氣メグル日々 エリカのブログ

2011年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年01月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

2011年を振り返って

2011年は私にとっても、日本にとっても、大変波乱に満ちた変化の年になりました。

サムソン・ブーレと恋をしたのは今年の1月。それまでの5年、ただ彼のムビラを買い付けてきただけの間柄だったのに。結婚とは不思議なもので、告白されてそれを受けて、10日ぐらいで決断している。あれから1年も経たないのに、結婚してアマイ・ブーレと呼ばれ、子供まで身籠っている。振り返ると急速に事は進んだんだなあ、と。あのリンガ村で、この人とここで一生暮らしてもいいと思った決断力は、今もよく分からない。導きというものなのかもしれない。
波乱万丈な一年の終わりを、愛する人の愛情を感じて、文化も人種も皮膚の色も混じり合った子供の存在を感じて、過ごせていて本当に有難いことです。

2月に結婚を決意して帰国して、3月の大震災。母も、親族も、ジンバブエ人との結婚移住なんて当然ながら大反対な訳ですが、大震災の影響で日本の安全神話も崩れたし、常識がどこにあるか分からなくなり、世の中が不安な中、反対意見は勢いをなくしていきました。
夫にも言ったのですが、もし大震災がなかったら、私はこの結婚をここまで強い意思で実行出来なかったかもしれない。夫は、説明しても放射能の危険性にピンと来ない訳ですが。
日本で親に泣かれた時も、友人達との別れも、ジンバブエでなかなか結婚環境が整わず途方に暮れていた時も、今妊娠して具合が悪い時も、このジンバブエでの文化や経済的な違いに悩む時も、日本が恋しくて仕方ない時はあるのです。
でも、その日本は変わってしまった。私が生まれ育った横浜の地は放射能で汚染されてしまった。
わたしは経済的に貧しくても、原始的にシンプルに大地を感じて生きたい、そこで子供を育て家族を持ちたいと決意して来たのだから、ここで自分の居場所を作らなければ、と思うのです。
ここでは停電は毎日。それでもいい。生産電力が足りないだけだけど、社会の消費エネルギーは少ない方がいい。服も手直ししながら、余り買わず、足るを知る生活をすればいい。
夫は、エリカはムルング(白人)らしく、都市にいてスマートで白いままでいて欲しい、その手を土で汚したくないなんて言っていますが。将来は、自給自足の村生活を中心にしたい。
近代都市に生まれ疑問を持ち、近代的生活に飽き飽きした人と、原始的生活から脱したい人との、ここでの気持ちのすれ違いは感じますが。

最近2人のアフリカ北上のバックパッカーの女性に出会いましたが、2人とも看護師でした。いい事です。医学会なんて狭い世界に自分を押し込めず、世界の多様性を自分のものとして、また看護世界に帰って型に嵌らない看護と生き方をして欲しい。患者たちは、みんな多様なのだから、個々の幸せは違うのだから。きっとバックパッカー後のナースは、看護界からは異端でも、患者にとっていいナースになれるでしょう。私もジンバブエでは看護師として働くのは難しいし、賃金も安いから、将来毎年3ヶ月だけ出稼ぎナースで日本に行くとかしたいなあ。
ジンバブエは、生活レベルに比べて物価がすごく高いのです。

2012年は、7月の出産もあるし、大きな変化と成長の年になる事と思います。
壺はショナでは、ハリと呼んで神秘的な聖なるものです。壺は新しい命を産みだす、子宮の象徴と聞いたことがあります。あの儀式で酒の満たされ壺を見ると、ドキドキします。今、病院も行っていないし、スキャンもしていないけど、この子宮という神秘の空間を科学の目で覗き込むことをしないでただ命として、感じているだけでいいのかな、と思ったりもしたりします。
頭で考えない、言葉にも表現しないと、世界はもっと神秘的で聖なるものに満ちて、ただ感性に響いてきます。

子供と共にジンバブエの地に足を着けて、大きな空を見上げながら世界がひとつであることを感じて2012年も生きていきたいです。

このジンバブエ移住で親族、多くの友人に心配かけ迷惑もかけましたが、暖かい言葉をいつもかけて私の心を支えてくれました。
本当にありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。

| ジンバブエでの日々 | 18:24 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT