ラストライブ アフリカ大陸ありがとう!
6月26日(日)、日本での最後のライブを吉祥寺アフリカ大陸で行いました。
2月末にジンバブエ移住を決意して帰国したとき、多分私は最後の日本でのライブでは涙してしまう、と思っていました。
仕事も友人も家族もムビラ仲間も、日本に置いていかなければならないものがとても大きく思えていた。
でも、ムビラサミットでも、今日のライブでも、不思議と寂しくなかったんですよね。
メンバーが減ってしまうパシチガレのメンバーや、これまでムビラを習ってくれた生徒さん、お客様などに、大変な迷惑と心配をかけている申し訳なさはあります。
でも、この喪失感の少なさはなんでしょう。
今日も、今ここでパシチガレ・ムビラズのメンバーとこの音楽が作れて、お客さんの踊っている中に入られて、「幸せ」という思いで一杯だった。
ムビラはそれぞれのスピリットをつなげます。
ムビラを弾く限り、私とパシチガレのメンバーとも、ムビラを愛してくれる日本の皆さんとも、もっと深くつながり会える、そんな風に思えています。私は、もっとムビラを深く感じたいから、もっとムビラを日本にも世界にも広げたいからジンバブエに行くのです。
ムビラは、私の人生を変えてしまいましたね。
パシチガレ・ムビラズのメンバーから、手紙とお花をもらいまいました。
本当に、そんなサプライズなプレゼントを用意していたなんて、知らなかった。
女性を喜ばせるには、お花と手紙です。
この発案をしたのは、誰だ。やるな。
お客様からも、手紙と本をいただきました。
こんな私のムビラとジンバブエを愛する心に共感してくれて、ずっと応援してくれていてありがとうございます。
帰宅して、手紙やお花や本を見ていたら、ありがたくて涙がでました。
「帰ってきていいからね」と言ってくれるお客様と仲間たち。
何年も帰国しないぐらい長く住めることが私にとっては幸せなんだけど、ジンバブエという異文化の中で何があるか分からない。
帰る場所があるよと、言ってくれるその言葉もうれしかった。
次に私が、日本でムビラを弾くのはいつのことだろう。
再会する日まで、ムビラ音楽を愛し続けてください。

2月末にジンバブエ移住を決意して帰国したとき、多分私は最後の日本でのライブでは涙してしまう、と思っていました。
仕事も友人も家族もムビラ仲間も、日本に置いていかなければならないものがとても大きく思えていた。
でも、ムビラサミットでも、今日のライブでも、不思議と寂しくなかったんですよね。
メンバーが減ってしまうパシチガレのメンバーや、これまでムビラを習ってくれた生徒さん、お客様などに、大変な迷惑と心配をかけている申し訳なさはあります。
でも、この喪失感の少なさはなんでしょう。
今日も、今ここでパシチガレ・ムビラズのメンバーとこの音楽が作れて、お客さんの踊っている中に入られて、「幸せ」という思いで一杯だった。
ムビラはそれぞれのスピリットをつなげます。
ムビラを弾く限り、私とパシチガレのメンバーとも、ムビラを愛してくれる日本の皆さんとも、もっと深くつながり会える、そんな風に思えています。私は、もっとムビラを深く感じたいから、もっとムビラを日本にも世界にも広げたいからジンバブエに行くのです。
ムビラは、私の人生を変えてしまいましたね。
パシチガレ・ムビラズのメンバーから、手紙とお花をもらいまいました。
本当に、そんなサプライズなプレゼントを用意していたなんて、知らなかった。
女性を喜ばせるには、お花と手紙です。
この発案をしたのは、誰だ。やるな。
お客様からも、手紙と本をいただきました。
こんな私のムビラとジンバブエを愛する心に共感してくれて、ずっと応援してくれていてありがとうございます。
帰宅して、手紙やお花や本を見ていたら、ありがたくて涙がでました。
「帰ってきていいからね」と言ってくれるお客様と仲間たち。
何年も帰国しないぐらい長く住めることが私にとっては幸せなんだけど、ジンバブエという異文化の中で何があるか分からない。
帰る場所があるよと、言ってくれるその言葉もうれしかった。
次に私が、日本でムビラを弾くのはいつのことだろう。
再会する日まで、ムビラ音楽を愛し続けてください。

| アフリカ、ムビラ | 15:26 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑