元氣メグル日々 エリカのブログ

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宮城県石巻市のピースワーカーズ報告

玄始の音ツアーを長野新潟で終えて、その収益の一部を義援金として託した私のムビラの生徒さん藤井君の報告です。
藤井君は私達のツアー企画を昨年から手伝ってくれて、彼の人脈がなければこのツアーは実行できませんでした。そして、糸魚川で2回もライブで一緒にネマムササをセッションしてくれました。
その後、1ヶ月の休職をして仲間と宮城県石巻市へ出発したのでした。

【藤井報告 その1 4/18】
みなさんの協力で
物資を購入できました。

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写真1 自分達の食料、生活物品を全部持参するため、買出しに奔走していました。私達の義援金は、彼らの東北への足、必要物品の購入に使ってもいいと伝えましたが、多分彼らは自費で行ったのでしょうね。


【藤井報告 その2 4/20】
ピースワーカーズのロゴができました。
ピースワーカーズ初日。今日は雨のためそれぞれできる作業をしました。
街中を車で走ると、飲食店、スーパーは通常通り営業しているところもあり、昼間の回転寿司屋、ラーメン店は列を作っていました。
マグニチュード9の地震にもかかわらず意外に建物の被害は少ないように思いました。
ですが津波の影響をモロに受けてる所は瓦礫の山、山山、信じられない光景です。
という事はマグニチュード9という数字は地震における建物の被害は少なく見える事で原発を想定外という枠に当てはめる(原発を守る)ために数字をつりあげたと考えられなくはないかも知れません。
今日は津波による壊滅的な被害を受けた
折浜というとこにいきました。
地元の方々は高台にある集会所に避難しています。
ここではピースワーカーズの大工のガクさんが廃材でとっても素敵なバス停を作りました。
ここでは4月いっぱいまでに薪で炊くお風呂場を廃材でつくる計画です。

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写真2 皆で手をたずさえている素敵なロゴが出来上がりました。


【藤井報告 その3 4/21】
宮城県石巻市に来てはや4日がたとうとしています。
現地での活動、状況を報告させてもらいます。
今僕がいるボランティア団体、ピースワーカーズでは瓦礫の撤去、ドロの掻き出し、物資の配達、廃材を使ってバス停、風呂場の作成をしています。
こちらに実際にきて一番必要なものは人手なんだという事を実感しました。
重機を使っての作業一つとっても気の遠くなるようなほどの瓦礫がそこら中に山になっています。
家の中の瓦礫や泥を片付けるには人の手を使ってちょっとずつちょっとずつやっていかなければなりません。
被災地の人々は見えない未来に向かって一歩一歩進んでいます。
しかし自然の力はとても大きいです。
石巻市は地震により1メートルほど地盤沈下したそうです。昨日の海は満潮により海の近くは冠水。次の日には片付けたゴミや泥が再び。。。
余震はだいぶ少なくなったそうですが、昨日は余震によりゴゴゴーという大きな地鳴りが二回ほど聞こえました。この地鳴りがホントに恐いです。
ながーいながーい年月が必要な復興までの道のり。
テレビでは見れない、たくさんの真実を自分の目と耳、全身で体感しているところです。

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写真3


大阪で物資が山済みになっているというニュースをみました。
藤井報告ではないのですが、仙台に方からの報告です。

『物資が行き届かないとこは、無数にあるよ。俺らが支援してるとこで言うと、宮戸地区の室浜公民館や月浜の同じような所。宮戸小学には自衛隊支援あるけど、公民館なんかには ないでな。
いまだに、おむすび一つしか行き渡らない。』


藤井報告や他からの報告も受けながら、私に何が出来るのかと思います。
私は無力で、たいしたことができません。
でも、国家は国民を守る力はない、人類は自然をコントロールする力なんてない。、は自然の前で無力で、ひとりひとりが自然に祈りながら、自然の中で足る知る生活をして生きていかなければいけないんだと、強く教えられました。
私は、この震災の悲劇が私達日本人に教えてくれることを、無駄にしてはいけないと思います。

| 日々のこと | 14:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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