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元氣メグル日々 エリカのブログ

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祖母の言葉

私:仙台七夕っていつだっけ。
祖母:8月8日から16日までよ。(本当かなどうか知らない)
私:みちこさんは、いったことある。
祖母:お母さんといったよ。
私:お父さんはどうして行かなかったの。
祖母:お父さんはお仕事。
私:お父さんはなんて名前。
祖母:平次。自転車屋さんしているの。
私:みちこさん、兄弟はいるの。
祖母:大勢いるよ。
私:皆お元気なの?
祖母:お陰さまで。(ウソ、数人他界している)

枇杷を持って特別養護老人ホームにいる祖母に会いに行きました。
認知症で、リクライニング車椅子に乗って、食事も全介助で、会話も成立しない祖母なのに、なぜか子供のときの話は通じる。

お子さんは、旦那さんの名前は、と聞いてもキョトンとしている。
もう孫の私のことなんて、身内だとは分かっているでしょうが、名前は分からない。エリカだよ、て言ってもキョトンとしている。

仙台で生まれ育って、24歳ぐらいで祖父と結婚して東京に来たので、仙台で生活していたときなんて60年以上も前。
それなのに、仙台のときの話は会話が成立してしまう。
母親の名前と父親の名前は言えたりする。

同居して介護していた認知症の初期、夜中に急に「お父さんが生きていればこんな寂しいことなかったのに。お父さんは私の運動会も来てくれたんだよ。」と言われたりした。
当時、私も介護疲れしていたし、認知症への対応が分かっていなかったから、すごくバカバカしい会話に思えて、「おばあさんが80歳越えているのに、曾おじいさんが生きていたら大変だよ。」と怒ってしまっていた。

今、いろいろな認知症の人と接してきて、それぞれの見ている世界をそのまま受け止めて、ただ寄り添って行けばよかったんだと、そうすればその人は暖かい落ち着いた心でいられるのだと、分かった。
だから、最近はその人が会話が話す内容を否定はしないし、話しやすい世界について会話が弾んで刺激になるようにしている。
身内なので、同じ世界を見れていたときを知っているから、一人違う世界を見始めたとき、それをそのまま受け止めることは、現実には結構し辛い時期もある。

祖母は、うれしそうに枇杷を食べながら、私の仙台への質問だけ答えて、後は意味が分からない独り言をつぶやいていた。

両親の子育てというものは、すごいなあと思う。
85歳の祖母が、関東で暮らした60年の歳月を無視して、両親と共にあった世界を見ている。
子は、それだけ親に心を寄せて、その時代を生きているのだ
一生の中で、両親に頼って生きる時代なんて。20年、その期間がその人の心に一生行き続け、影響を与える。
私は、祖母の言葉の中に、自分を育ててくれた両親への感謝を思った。

老人は私に、人生にとって大切なことをいつも教えてくれる。
だから、介護は面白い。

| 日々のこと | 01:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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