お別れムビラライブ
仕事を辞め、とても気軽になりました。久々の常勤でしたが、ピアスや指輪など、アクセサリーは外す様に言われ、辞めたその日に再びつけたらやっと自分を取り戻したように思いました。シリアで買ったピアス、南アフリカで買ったネックレル、それらは旅する私を見守って来てくれました。組織に所属することが、こんなにも自分の心を縛るとは。確かに保守的で旧態の労働環境ではありましたが、あの診療所が悪いわけではなく、私という人間が所属を嫌う人間に成長してしまったということです。
自分らしく生きるしかありません。
20代後半でバックパックひとつで放浪の旅に出た時から、ずっと私はジンバブエ、日本を小さい荷物で行き来しながら旅するように生きていくのでしょうね。
娘が5ヶ月過ごさせてもらった吉海保育所で、お礼にムビラの紙芝居をしてきました。時間ができたら是非ムビラの演奏をしてほしいとずっと言われてきましたが、月曜日~土曜日までの勤務で依頼に答えられなかったので、島を去る決意をした時にこちらからお願いしました。
この5ヶ月、娘はオムツも外れ、着替えも自分でできるようになり、そして言葉の数が増えて「貸して」「辞めて」「違うよ~」「あのね」とコミュニケーションが取れ始めま、目覚しい成長を遂げました。友達と喧嘩したり、年上の子の真似をしてみたり、社会性を育ててくれました。この保育園で過ごせて本当に幸せでした。
今回の紙芝居は、みんなに愛生音のお父さんの住むジンバブエでの生活の紹介も大切にしました。
2月にジンバブエで過ごした写真を見せ、ジンバブエでのお父さんの仕事や食べ物、言葉について話しました。「アイネちゃんのお父さんは、会社行かないの~」って子供らしい質問。
園長先生は、囲炉裏のあるキッチンや牛で畑を耕す写真などに「余計なもののない生活なのね。すっきりしていていいわねぇ。私たちなんて、新しい機械や新製品に振り回されて、なくてもいい物に囲まれて。」と話されていました。
この感覚を分かってくださる方は、本当に稀。多くの人が、「アフリカは貧しい。そんな貧乏な国にいくことない。治安が悪い。病気が心配。」そればかりです。
確かに貨幣経済において貧しく、夫も時に日本にいる私に送金を依頼してくるほど困窮しています。私も夫の元へ行ったら、お金のやりくりに悩まさせれるのは分かっています。
しかし、彼らの外見は貧しくても、その心はジンバブエの草原のように大きく自由で豊かなのです。
この豊かさを分かってくださる感覚をもった先生に娘を預けられてよかった。
紙芝居は、子供との対話を大切にしました。
育児で忙しく、ムビラもまともに触れていなかったのですが、ブランクは過去の自分の表現に縛られず、また新しい作品のように、新しい表現でできるものなのですね。今回は言葉や曲も変えて、子供向けにムビラ演奏は短かめで、霊媒師や祖先の霊など難しい言葉は解説してみたりしました。
それでも、子供たちは私の歌に大爆笑し、ホロロローとムルルを真似て、儀式の場面ではムビラにあわせて立って踊る子もいたり。紙芝居が終わっても、子供たちは列を作って、ムビラやホーショをさわりたがって、興味を持ってくれました。
夕方、娘のお迎えにいっても「アイネちゃんのお母さん、すごく面白かったよ」と子供たちには私を囲んできました。
私にとってもこのムビラの「神とつながる音」という絵本は、一生やり伝え続けたいムビラのメッセージを持ていると、再確認した豊かな日でした。
横浜に帰ることに際して、9月中に東京でムビラのライブをやる予定です。ジンバブエに行く前に、子連れでムビラライブを少しできそうです。また詳細はお知らせします。

| 大島の日々 | 00:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑