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元氣メグル日々 エリカのブログ

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Somson Bvure 日本ツアー

娘の父親Samson Bvureが来日し、ツアー中です。10月1日の吉祥寺アフリカ大陸のライブに行ってきました。
ジンバブエでは、ムビラを数時間弾くことはあっても、ホーショーを振り続けることがなく、久々のライブでホーショーを振りまくり筋肉痛になりました。
彼とは、8月ジンバブエで会っているけど、なれない日本の生活と忙しいライブスケジュールを懸命にこなしている様子。
ムビラ奏者招聘経験者なので、ツアーを決行する協力者の方々の苦労をとても感じています。
満員になったアフリカ大陸でお客さんが楽しそうで、こんなにムビラを愛する人が日本にいたかと、ありがたくなりました。
私は、この娘を育て上げることに集中しています。そして、娘たちの世代にできるだけ良い社会を残したい、そればかりを思います。
ジンバブエの自然とともに生きるシンプルな生活、ムビラ音楽が作るスピリチュアルな精霊の世界。それは現代の行き詰まった日本の人々にヒントを与えると今でも思うけれど、ライブに来てくれた方々には伝わったと思っています。

| アフリカ、ムビラ | 00:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ホームページ閉鎖

2004年から18年間維持して来た「エリカのセカイ」という自分のアーチストサイトをようやく閉じることにしました。
2003年世界放浪の旅から帰ってアフリカの生活を絵や詩で表現し始めて、ムビラという音楽文化も広めたいと思っていたら、湯治先の山形で出会ったSEの方が、絵を買ってくれて、サイトを作ってあげるとほぼ無料で作ってくれたものでした。「あなた宇宙人ぽいからアーチストネームはカタカナがいい」と言ってくれて、ハヤシエリカになって。

あんなに動いて、全国的にライブしていたパシチガレムビラズも、たった2009から2011年の2年あまりだったんですね。

娘が産まれた2012年から、このサイトは全く更新できていません。
ジンバブエやムビラの情報も古い。長い間動かせないでいるものは、辞めた方がいい。
娘が小学生になったら、とかいつか活動を再開できると、しがみついていたのでしょうね。
娘が小学生になったら、学校教育の貧しさを痛感。せめてホームティーチングのように、親が教育して大切なことを伝えていかないと、と思い娘と過ごす時間が増えてしまった。家庭での学習だけでなく、旅したり図書館や博物館や演劇など、娘の望むことを体験している。
娘だって母親のもとにいるのは、あと10年以内。私は、今彼女といたい。そして、彼女の望む教育を受けさせたいので、ナースをして働いていたい。

この化石のようなサイトを閉めずにズルズル来てしまったけれど、私がまたひとりになったら、ムビラや絵の活動を再開するでしょう。その時は、またその時の新しい自分の表現でいたいから、過去のホームページは捨て去った方が良い。

メルカリで私の絵を売っている人がいた。路上やアートフェスの出店でこういう風に絵を売っていたのは、2006年ぐらいまで。どなたか知らないがありがとう。多くの人に支えられて来たことを今も感謝しています。

http://www.hayashi-erika.com/

| アフリカ、ムビラ | 02:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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絵本で世界を学ぼう!に取り上げられました

青弓社の『絵本で世界を学ぼう!』という本にジンバブエを紹介する絵本として、私の絵本「神とつながる音」が取り上げられました。
この本は「105カ国を、1カ国につき絵本1冊を選んで紹介する。まず、その国の基本的な情報——国旗、地図、基本的なデータを 引用して解説し、関連する絵本を紹介する」ものです。
娘も興味深そうに読んでいる。なかなか面白い試みの本。
ルワンダは、「希望の義足」応援しているワンラブプロジェクトの絵本で、これも嬉しかった。
https://www.amazon.co.jp/dp/4787234714/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_RoVdFbP77C0F5

| アフリカ、ムビラ | 21:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジンバブエよりの訃報

Cosmas Magaya死去のニュース。ショックだった。夫Samson Bvureと何度かモンドロの彼の家に行った。サムソンとは、母方の親戚の関係で、ムビラの注文をよくしてくれた。亡き師匠Pasimamireとは、Mhuri yekwa Rwizi のムビラバンドを組み1983年初めてジンバブエムビラ奏者が、ヨーロッパツアーをした。パシパミレとは、ライバル関係でもあったけれど、パシパミレ亡きあと「彼は偉大なミュージシャンだった」と私に言ってパシパミレの死を悼んでくれたことを思い出す。
このMhuri yekwa Rwizi の写真。左端は、Hakurotwi Mude その隣の台にのっているのがパシパミレ。一人おいてムビラ弾いているのが、マガヤ。1980年代の写真でしょう。
ムビラとの出会いとともに、偉大なムビラ奏者たちに出会えたことに感謝します。

| アフリカ、ムビラ | 15:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Black lives matter についての考察

早川さんとのトークショーのあと、多くの反響をいただいたのですが、「エリカさんのような人は、Black lives matter についてどう思うか聞きたい」というの言葉をもらい考えました。
各国の黒人に対する歴史で違うと思います。
私はアパルトヘイトを引きずるジンバブエと関わってきて、植民地にされ搾取、迫害されてきて、今でも人種間の経済格差の大きく黒人と白人が融合しきれない世界を知っています。
アメリカやヨーロッパ諸国の黒人は、奴隷貿易によって、拉致さて強制労働を課せられ、人権を剥奪されてきた歴史があります。ここも人種間の経済格差は大きく、偏見も大きく、黒人の命も大切と唱える理由も分かります。
日本では、黒人だけでなく、見た目の違う異質なものに偏見、差別が根深いと感じています。また、人権意識が低くて、かつて保育園でブラックフェイスでラッツ&スターを歌うといったママ友にブラックフェイスの人権問題について語ったことがありましたが、「でもあなたの子供を差別したりしたことないし、考えすぎだ」と言われました。いやいや、韓国人、中国人、イスラム諸国、国籍や文化習慣の違う人たちに、偏見や差別的な発言ありますが、意識していないというのが、日本の問題です。
だから、このBlack lives matter の報道は、日本人に当事者意識をもって世界的な問題だと思ってもらういい機会です。
でも、私は、この問題に声をあげようとは思いません。
私は日本の中で、アフリカンフェスティバルを開くような多くのアフリカンを知っています。日本の社会の中で、自分達の文化の素晴らしさに誇りをもち、日本に紹介し、かつ日本の文化や言葉もよく学び、共に家庭を築き、協調共存して生きていこう、とするアフリカンたち。彼らをとても尊敬しています。
そういう風に、娘も私がショナ文化に惚れて生まれた子供です。この子にも両方の文化をよく学び誇りをもって、文化の融合として生きていって欲しいと思っています。アフリカの豊かさ、文化の美しさを紹介し、アフリカへ差別偏見をもつ人たちに、素晴らしさを教えてあげて欲しいです。
差別、偏見をなくすには、友達になり分かり合えること。あなたが笑顔で朗らかで楽しく生きていたら、丸ごと人はあなたを愛し、友人となり、肌の色はただの魅力的なあなたの肌にしかみえなるでしょう。

| アフリカ、ムビラ | 22:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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