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元氣メグル日々 エリカのブログ

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出国前の田んぼ作業

雨続きでなかなか田んぼに行けなかったが、ジンバブエに6週間行ってしまう前にどうにか作業に参加できました。
9月半ばには、刈り入れの年間計画表だけど、生育悪いなぁ。日照不足だろうか。雑草とりの作業が本当に重労働。
作業に飽きた娘は畔に座って、トトロの歌を谷に響びかせていた。「なんの歌なの~」って7,80代のメンバーばかりなので、不思議がられていた。
帰ってく来た時は、どんな実りになっているか、楽しみ。

| 日々のこと | 21:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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選挙期日前投票

ジンバブエに出発する前に、期日前投票。比例はれいわ新撰組です。
選挙には毎回ついてくる娘。係の人の机に近すぎるでしょうと思うほどピッタリとくっついて、私の書く名前にも「どうしてこの人にするの。なんでなんで」と興味津々。
「自分の考えに近い人を選んで、自分達の手で社会を作るんだよ。ママは、体の不自由な人も子供も老人もみんな命を大切にされる世界になって欲しいの」
そんな説明を分かってくれたかな。

| 日々のこと | 20:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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誕生日プレゼント

娘の7月の誕生日には、毎年本人と相談し絵本をプレゼントしている。絵本の裏表紙にメッセージを添えて。
7歳になる今年は、長靴下のピッピの絵本を4冊。おさるのジョージのABC。
ピッピは、9歳で一人暮らしをし、自分で髪の毛も結わき、料理、洗濯、掃除まで個性的lにする。南の島の王様になった父親が置いていった金貨で、学校も行かないで好きに暮らしをしている。しかし、友人を大切にし、その独特なファッション、暮らし、そんば自分を誇りに思っている。シミとりクリームのくだりで「私のこのソバカスを取るっていうの。ソバカス増やしクリームなら買ってもいいわ」なんていうのだ。
私は娘に、自分の自由な感性を大切に、
常識に縛られるな、自立して生きて、そして、ユーモラスと周囲への思いやりを大切に、そんなメッセージをこのピッピの絵本に込めた。
おさるのジョージのABCは、英語を勉強し初めた娘に、日本に縛られず、この地球上のどこでも、自分を理解してくれて、自分が生きられる場所で生きられる力が育つように思いを込めた。
とはいえ、親がどんなメッセージを込めようが、子はその子のままで育つ。元気で歳を重ねてくれることに、ただ感謝。

| 日々のこと | 13:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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管理教育について

娘が公立小学校に入学して、この国の管理教育に呆れるきとが多い。思考停止した愚民を育てたいのかな。

同僚の子供が給食のメロンが嫌いで残し、残し、理由を問われた子供は「アレルギー」だと言ったと、保護者のところに電話がきた。嫌いなものを無理に食べる必要はなく。それも個性のはずなのに、子供を責めるから、子供がウソをつくのだ。
虫歯になりかけて、歯ブラシを持っていったら、小学校の担任に連絡帳に必要性を書けと言われた友人もいた。私物を選び持っていく自由を、おかされてしまうのだろうか。
規制して型にはめようとするから、そのものの個別性を許さない雰囲気がるから、自分を偽り、人を偽り、管理者の言いなりの人間になってしまうのだ。
そんな人生に自由はなく、幸せではない。

我が家は、入学時給食では、牛乳を拒否した。牛乳を毎日飲む必要性を娘も私も感じない。そう伝えて4月に校長と面談して拒否届けをだした。アレルギーの子供は牛乳を飲まない代わりに一年中水筒を持参してよく、アレルギー理由でない人はコップを持ってきて、水道の水を飲めという。そんな理不尽な、と抗議しようとした隣で娘が、「私、可愛いコップ持っていって、水がいいなぁ」と言って、場は収まってしまったが。
私は娘とよく「学校はこう言っているが、あなたはどうする。」とよく娘と話している。そして、その答えを学校に伝えて話すようにしている。
権威あるもののいうことを鵜呑みにするのではなく、自らの人生を自分で選択し切り開くことを幼少期からする教育が大切だ、と私は思う。

| 日々のこと | 13:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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それでも人生にイエスという

素晴らしい本に出会った。
ヴィクトール・フランクル「それでも人生にイエスという」。
フランクルは、ナチスの強制収容所から生きぬいた心理体験を著した「夜と霧」が有名だ。これも近日読む。
私が子供の親になった時、子はやがて大人になり自分の人生を歩いていく、その子に親として人生が素晴らしく、幸せであることを、どうやって伝えて行ったらいいのか、それを課題に育ててきた。そのひとつの答えを見せてくれる本だと思う。
この自然と切り離され、人工物に取り囲まれた都市生活で、生きがいのある人生の意味を感じていくことは非常に難しい。意味の喪失は現代病といえる。

フランクルが「われわれは人生から何を期待できるか、ではなく、人生はわれわれから何を期待しているのか」に人生観を変更されたとき、自己存在そのものに意味を感じてくる、という言葉に深く共感する。
強制収容所での人々の心理や、多くのエピソードから、所有物でも、名誉、職業でもなく、健康状態でもなく、死の間際まで人生の意味を見せることができるということを、この本は教えてくれてる。どんな状況でも、人生は素晴らしいのだ。

介護施設の看護師をして長いが、「もう何にもできないし、死にたいよ。生きていても仕方ないよ」とよく入所されている高齢者はいう。最近は「あなた自身が人生に意味がないと言ってしまったら、お世話する私たちも空しいじゃないですか。生きていくこと、それだけで大切なお務めだと思っています。」と声をかけている自分がいる。

| 日々のこと | 15:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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