元氣メグル日々 エリカのブログ

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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その5〉レオナード・チアニケ氏について

住み込んでムビラ修行させてもらったレオナード・チアニケ氏は、欧米からのムビラ注文は尽きず、アメリカやバリ島に招待された経歴も持つが、日本ではムビラメーカーとしてもプレイヤーとしても情報が少ない。しかし、今回共に過ごして、ジンバブエの中でも最高級のムビラを作れる素晴らしい職人だと確信した。そして、奏者としても実に多彩で素晴らしく、教師としても無口だが質問には的確に答え、丁寧な教え方をしてくれて教師としても素晴らしいと感じた。
もし村の生活をしながら、ムビラを習いたいと思う人には、このリンガ村のレオナード・チアニケ氏をお勧めしたいので、以下のプロフィールを載せました。
ご興味ある方は、ご連絡ください。

レオナード・チアニケ氏の経歴
1953年生まれ。63歳。(亡き師匠パシパミレが1952年生まれだったので、同世代だ。)
トーテム MHOFU モフ (大鹿エラント)
チオタ地区がチアニケ家の出身村だが、父親が乾季は建築業、雨季は農業や白人の農園の警備をしていた為、幼いころはジンバブエ各地を転々とした。
1962年チノイに住む
1964~1971年 ムジュル家と父親が親交があり、ルサぺのダンバテォーコ村に住む。9歳のそのころムビラを弾き始める。フェラドリック・ムジュルは、幼馴染でともに学校に通った仲であり、今も親交が深い。その為、毎年1、2、9月のダンバテォーコでの儀式にも参加している。祖父はンジャリ奏者、父はムビラ奏者だが、ムビラ製作はしなかった為、ムビラ製作の技術はムジュル家より学ぶ。
1971~1983年 出身村チオタに住む
1983年~ 1980年のジンバブエ独立後、1983年にリンガ村がリッセトルメント(白人農地を没収し、黒人農家へ再分配した再開墾地)に移住し、現在に至る。

レオナード・チアニケ氏製作ムビラ
Bニャマロパチューニングがリンガ村では多く使われ、レオナード氏のスタンダード。
マベベンベチューニング、ダンバテォーコチューニング、カッサンガイラチューニング(Cニャマロパ)など注文に応じて作製。
ムチェンジチューニングは、レオナード氏がお気に入りの特徴的チューニング。右手ネテテは、ダンバテォーコチューニングと同じ音程。左手上段もネテテと同じ音程になっているドンゴンダチューニングの一種で、左手下の段はダンバテォーコチューリップより一音程高い。幼いころ住んでいたチオタ地方で使われていたチューニングという。
キーの素材は、スプリングを使用し、焼いてからハンマリングを行う。固めで強いサウンドで、鳴りが良い。
キーの固定は、ワイヤーを使用した伝統的スタイル。
ガリワは、ハラレからムクワの木を購入しており、非常に上質。

ムチェンジチューニングには、驚きました。今年は、ニャマロパとムチェンジチューニングを作ってもらいました。
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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その2〉ジンバブエ、リンガ村ビレッジ7

南アフリカ、ウムタタを出て首都ヨハネスブルグまで13時間。その足でジンバブエのハラレに向かうバスに乗った。ヨハネスブルグからハラレまで、国境ベイトブリッジを抜けて陸路でいくのも10年ぶりぐらいだ。
予定では19時間で着くはずだった。しかし、これまたベイトブリッジの南アフリカ側で4時間、ジンバブエ側で2時間、通貨に時間がかかり、結局24時間のバス旅となった。南アフリカのイミグレーションが職員が少なくて業務が進まないので、深夜長蛇の列で遅々として進まないのだ。もう、ベイトブリッジ通過の旅は、懲り懲り。
バスは、ハラレまで行かずに村の入り口ウエストミニスターで降りて、8か月振りのリンガ村へ帰った。

ビレッジ7の夫の家には、20歳の長男ベナードひとりがいて、夫は今年一月以来村に戻っていなかった。ベナードは首を長くして、私たちを待っていてくれた。近所の大人も子供も、大歓迎で再会を喜んでくれた。
ベナードは、私たちがいなくなった後も、ひとりでメイズの収穫をして自給自足し、野菜を作りハラレで売って現金を作り、生活していた。彼は、夫が出生時に認知しなかった為、15歳で父親の家に来たが本名は母親の性で、出生証明書も父親無記名のままだった。成人し父親のトーテム、マジンバクッパで呼ばれる今、出生証明書を書き換え、IDカードを作ることが彼の願いだったが、今年野菜を売って100ドル以上作り、ハラレで父親、母親を呼び寄せ、裁判所に行って出征証明書を書き換えてIDカードも作ったそうだ。
この願いを実現させたことは、正直私は驚いた。若干、20歳の彼は、日本人の20歳よりずっと自立し自分の人生を切り開いていた。
ジンバブエの子供たちは、両親が現金収入を得るため都市部や海外に出て、村にいる親戚や祖父母に預けられている人が多い為か、子供のうちから料理、洗濯、家畜の世話、農業と家の仕事をし、自立しているのだ。ベナードは、家の貧しさから小学校を修了できなかった。しかし、彼のこの生きていく強さから、自然との生活が人の心も体も強く、逞しくしていくと学ばされる。

久々にビレッジ7の家で、薪を使って料理をして、昨年一年の暮らし慣れた家事を味わった。やはり、この原始的な村の大地からの恵みで生きていく生活が居心地が良い。

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保育園入園

3月から保育園に通い初めた娘。
初日はさすがにお昼寝はできなかったけど、初日から楽しく通っています。
人見知り、場所見知りを、生まれた特からしない娘の性格に救われます。
どんな所でも、どんな人とでも、楽しんでしまう娘の笑顔に、とにかく楽しんでいかなくちゃと親が教わります。
子供は親を模倣して大きくなるものだから、私が楽しまなくちゃと思って、「ママも楽しくお仕事。」と話して聞かせています。
介護施設のナースを変わらずしているけど、急変もあるし戦場のような日もある。でも、私はこの高齢者たちを愛している。楽しんで仕事していると思えます。

保育園は出欠時間を昔ながらの、タイムカードで取ります。
7:31~18:30が通常時間でそれよりオーバーすると、30分おきに延長保育料金がかかるので、タイムカードで管理しています。人も財源も足りない中、保育園を経営しているので、理解できるのですが。
仕事に行っても勿論タイムカード。
この分刻みの日本の生活に、窮屈さを感じずにはいられない。
時間を切り売りしていて、時間は本当が宇宙と繋がっている大きな世界のはずなのに、私の時間と私物化されてしまう。

ジンバブエの村での生活は、朝と夜の間に昼があるぐらいの感覚でした。
太陽の動きを見て生活し、月を仰いで寝る、宇宙とともにある生活。
子供の頃ぐらいは、朝と夜と午前と午後ぐらいの感覚で生活できたらいいなぁと、娘を見ていて思います。

予防接種を受けていない娘は、今週は水疱瘡で保育園をお休み。抗ウイルス剤も拒否して、水疱に軟膏塗っただけで過ごしましたが、2日ほど発熱し、水疱もまだらに出来ただけで軽くて良かった。
余りにも丈夫で病気しないので、心配していたんです。子供のうちにやるべき病気はかかって、抗体つけてほしいものです。
親は病気されると仕事にいけないし、具合悪くて愚図る子の世話に疲れますが、仕方ない親の務めですね。

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ジンバブエの年末

ジンバブエの年末

ジンバブエはクリスチャンが多数派の国。多くの企業が19日ぐらいから仕事納めになって、クリスマス休暇に入ってしまいます。

村は、農繁期なので今はどこの畑も蒔いたメイズに肥料をあげることと、雑草とりに忙しい。雑草取りはsakuraといって日本語みたい。
12月末には、通常ならメイズは1mぐらいの高さには成長していなければならないけど、今年は雨の降り出しが12月からで遅く、気温も高すぎ傾向で異常気象です。どの畑のメイズも20cmぐらい。
雨が降ると一家総出で種蒔きしたり、朝から雑草取りしたり、天気と会話し、農業が生活そのもの。都市に暮らす人も、庭にメイズを蒔き、農村部のメイズの育ち具合を気にして、日本より圧倒的に農業が身近です。自分の命を支えるものを育て、育ち具合を気にする、それが本来の生き物ですよね。

私はクリスチャンでないので、クリスマスは祝福する気にはならないのですが、村で過ごしたクリスマスは楽しかったです。
まるで日本のお正月のよう。近所の家では、ハラレで暮らす子供たちが帰ってきたり、沢山の人に囲まれて朝からチキン、ライス、サラダといったご馳走を食べます。子供たちは、この日は靴、服一式新しいものをプレゼントされお洒落して、数ドルのお小遣いをもらって、みんな村の中心部の店に集まって飲み食いします。
この日だけは特別で子供も夜8時ぐらいまで店にいました。あんなに大勢の人が、村の中心に来るの始めてみた。村中の人が一体になって祝福していて、素朴で暖かくてこういうクリスマスはお祭りだ。
うちの娘もクリスマス用でなく日本のイベント用に買ったドレスですが、お洒落してみました。3歳児なら余裕と言われたのに、もうミニスカート。

26日は、クリスマスボックスを開ける日だったらしく、会う人みんなにクリスマスボックスくれ、と言われました。村長のサブクが酔って「明日クリスマスボックスあげるからうちにおいで」と言っていたので、真に受けて行ったら、クリスマスボックスはなく、朝から手作りの雑穀のどぶろくをご馳走になり、またそれが美味しいし強いし、ほろ酔い続きのクリスマスでした。

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一年振り返り

一年振り返り

ジンバブエに来て、このリンガ村での生活を始めたのが今年の1月からで、約一年暮らしたことになります。
家事も買い物も全て時間がかかるので、あっという間でした。

夫と共に暮らせることを願ってジンバブエに来たので、月に一日程度しか会えず、理解し合えない状況は、喜ばしいものではありません。
しかし、もし夫が付きっきりでそばにいてくれて、助けてくれたら、私にはリアルな村の生活は見えなかったでしょう。いつまでも、異文化のお客様だったと思います。

今のように一家で唯一の大人として、家中を掃除し、家中の洗濯をし、朝食夕食の準備をし、野菜がガーデンになっている時は野菜を摘みに行き、薪が足りなけれ森に取りに行って運び。安い所を探して、ビットリスやハラレで日用品を買い運び管理し。どうにか収入を作ろうと、ブロイラーの飼育もし、販売もしました。
私は、もう都会でエネルギーを無駄に消費しなくても、幸福に生きていける能力を得ました。
村には英語ができない人が多く、ショナ語ができない私とは、確かなコミュニケーションは難しいながら近所付き合いも積極的にしてきました。村人は、私に同情的ですごく助けてくれて感謝しています。
夫の思春期の息子3人の面倒をみてきましたが、問題を起こしたり、言うこと聞いてくれなかったり、こういう経験も自分を鍛えてくれたと思います。

この一年、チャレンジする機会に恵まれ、この豊かな自然、健康に育つ子供たちと暮らせて、幸せでした。

帰国したらこの村での生活を描きたいと、只今ネタ集めをしています。頭の中では、もう20作品ぐらい出来ています。
まるでバックパッカーをしていて、絵日記のように描き始めた時のように、この村の美しい生き生き生活する人々を描きたいという思いが湧いてきました。

私の絵は、今も昔も人々のただ生きている単純な生活そのものを表現したいんですね。自然の中でのシンfプルな人々の生活の姿に人生の真理を強く感じます。

いつか日本でも、ジンバブエでも、「クムーシャ」という名の個展ができると面白いですね。


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