fc2ブログ

元氣メグル日々 エリカのブログ

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その7

ガリカイ氏は、娘にジンバブエと私達家族の絆を保ってほしい、とGチューニングの小さめのムビラをくれた。
そんなプレゼントを用意してくれる彼の人柄に感動してしまった。
そして、最後にもうひとつの絆、娘の父親サムソン・ブーレを訪ねた。2011年ハラレで共に暮らした長女プリビアスは3人の子の母になっていた。2015年に村で共に暮らしたブライトン、ブレビーも素敵な青年になっていた。そして、あの頃3歳だった娘が私とほとんど背丈も変わらない11歳。みんな娘の成長を驚いて喜んでいた。
サムソン・ブーレは、9月来日ツアーをする。彼のためにも実現させた企画協力のみんなのためにも、成功を祈っている。

| ジンバブエでの日々 | 23:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その6

お世話になったチアニケ家を立ちハラレにきた。アボンデールの定宿its a small world に泊まる。4年ぶりなのに、宿のスタッフ達やショッピングセンターのお土産屋の人や野菜売りの人など、私達を覚えていて「子供が大きくなったね」と声をかけられた。みんなよく覚えていてくれると感心してしまう。
ムバレ、1stストリートと歩いてみたが、インフレが進んでいると聞いていたが、4年前と比べてそれほど感じない。日本より食べ物もずっと安く、質がよくやはりジンバブエは暮らしやすい。
チツゥンギザのムビラ製作者奏者のガリカイ氏の元を訪ねた。娘の父親とは同じトーテムなので、我々は親族になる。去年、重い病気をして心配していたが、まだ本調子でないがムビラを作り演奏することができていて安心した。2回来日ツアーをしたことがあるので、日本のムビラファンにメッセージをくれた。
ガリカイ氏は20年前に初めて会ったときと変わらず、子供や近所の若者と共にムビラ制作をし、作りながらいつの間にか儀式のように演奏が始まった。こうして20年前にムビラの世界に惹き込まれたことを思い出した。
子供は、神様のくれたギフトだから、ケアを完結させなければならない。ひとつも完結しないまま、次に手を出す人生を知らないものが多い。この素晴らしい子供を大切に歩きなさい。と本当に人格者で、素晴らしいメッセージをくれる方だと改めて思った。

| ジンバブエでの日々 | 23:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その5

今年はムビラを2つ注文して持ち帰る。チアニケも70歳になるが、力強くムビラを作っていた。
チアニケの子供たちや孫たちが立ち変わり泊まっていく。最初にハラレに住む長女と4女が出産後を過ごすため赤ちゃんと泊まっていたが、二人がハラレに帰るのと入れ替わってケープタウンの次女が子連れで来た。例によって、祖父母に孫を預けて、ケープタウンに帰っていった。
セクルチ•アニケは、70歳にしてラスタデビュー。次女のドレッドを切ってエクステンションにし、次女の夫がドレッドヘアに編み上げた。どういう心境の変化だろう。
25年前に他界した親族のお墓を作る儀式に参加。もてなしのヤギの屠殺もお手伝い。死者は村のはずれの墓地に埋められているが、ほぼ草むら。親族が買った石できれいにお墓が出来上がった。チアニケ家は、もうムビラ弾きは、レオナード・チアニケ一人でアポストリーというキリスト教一派に宗教を変えてしまった。儀式も酒も作られないクリスチャン式。儀式でセクル・チアニケは、「おじいさんの代はンジャリを弾いていた。お父さんの代からは、チアニケ家はムビラを弾いている。お父さんたちは、毎週日曜日にはビールを飲んで作ってムビラを弾いていた。しかし今となっては、チアニケ家の中でムビラ弾きは自分一人になってしまった。」と演説して、儀式にムビラを弾くプログラムが追加された。お墓の前で親族にタイレワを弾くのも、なんか皮肉ぽくて良かった。
親族の一人に、「このままムビラの勉強を続けてください」と言われたが、「これあなた方の伝統楽器だから、あなたこそ伝統を忘れないでね」と言っておいた。

| ジンバブエでの日々 | 23:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その4

ムビラの儀式Biraに行った。リンガ村をすこし外れた場所にある家で、この家の人は、この村が出来た1982年から2021年までリンガ村のクリニックで働いていたそうで、2015年に村で私達が暮していた当時もクリニックにいて私達を知っていた。
この家の娘が昨年から目が見えなくなり、霊媒師に原因を聴くために昨年もビラをしたそうだ。毎年するから、毎年来いと言っていた。
今までのビラは、弾いたり踊ったりだったが、今回は私とチアニケとその弟子2人という4人体制で初めて最初から最後の朝日が出るまで弾いていた。歌も人々が求めてくるので、よく歌った。長くライブもしていないし、ブランクあるのによく弾いた。
ムビラの儀式に感動して「神とつながる音」という絵本を出版したが、17年たっても感動は同じ。あの霊媒師に祖先の霊が降りてきて、長々と一人ひとりにアドバイスをして行く様は、祖先と大地のつながりを感じられて尊敬してしまう。
娘が初めて「ムビラ弾けるようになりたいな」と言っていた。実際弾けるように努力できるかは知らないが。

| ジンバブエでの日々 | 23:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ジンバブエの旅 その3

このリンガ村に暮らしたのは、2015年の1年間。2016から2019年の4年間は毎年日本の夏休みに、チアニケ家で過ごしてきた。この村の子供達とうちの娘の付き合いも7年前からだ。子供の成長が著しい。4年前は、ただ朝から晩まで言葉もいらず砂いじりして遊んでいたのに、お互い10歳前後になってコミュニケーションが上手くできずに暇をもて余し、距離ができたり、微妙な接し方をしているときもあった。一緒にお風呂に入ったり、縄跳びをしたり楽しく遊んでいる時間もあったが、ただ跳ねていた頃と違って、うちの娘が思春期に近づき落ち着いて来てしまった様子。
ここの生活は牛、ヤギ、鶏、鳩、ウサギといろいろな動物に囲まれ、静かでゆっくり時が流れている。
火をおこしたり、動物の世話をしたり、娘は自然にやっていて、日本にない豊かさを体験できてやはり今回来て良かったな、と思う。
娘も私もほとんど肉食しないで暮らしているのに、ここに来て鶏、アヒル、ヤギ、鳩と随分目の前でさばかれて、食卓にのぼる日々。余りによくさばかれているので、この残酷な光景になれてしまった。新鮮で本当に美味しい。しかし、肉が重い。
コロナ対策について、チアニケに聞くと、政府は3回のワクチン接種を求めたけど、村のクリニックで2回だけ打ったとのこと。その頃は、マスクを強制され、葬式でも50人以上の人の集まりは禁止され、椅子も1人分間を空けるように言われ、日本と同様の状況だった様子。コミュニティの団結の強い世界なので、政府の言うことに日本以上に従わざるえない雰囲気が感じられる。

| ジンバブエでの日々 | 23:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT