元氣メグル日々 エリカのブログ

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インフルエンザ予防について

職場の介護施設ではインフルエンザが蔓延しています。45人程度の入所者のうち、最高で12人の陽性がでて、大混乱。健康なの人がインフルエンザになっても、数日辛いだけですが、持病のある高齢者が罹患すると、もともと悪化していた心不全や腎不全、嚥下困難などが急激に悪化して、病院に救急搬送したり、施設では暮らせず療養型病院に転院してもらったり、命にかかわる事態になってしまっていて、心痛い。
職場は1月から面会や外泊中止にして、外部からのウイルスの侵入を防いだり、職員全員マスクしたり、対策はしていたのですが。職員の感染者も増えています。この事態に、職員やもともと介護度の高い入所者に、予防的にタミフルを内服させる対策もとっています。感染前に抗ウイルス剤内服とは疑問が残る。。

娘に予防接種をしないと決めて、購入した「ホメオパシー的予防」の本を取りだし、influenziとOscillococcinumのレメディを購入。ふと久しぶりにホメオパシージャパンのカタログを見れば、見たことある花の写真。マザーチャンクというハーブを抽出したエッセンスなんですが、これ昨年南アフリカのムタタのモモチャンの家をたずねたときに、免疫力をあげる効果が高いと勧められて購入したechinaforceと同じ花ではないですか。エキネシアというハーブです。南アフリカでは、トランスカイという地方の普通の薬局にも、こういったホメオパシー的なものが売っているとは、日本との違いを感じます。私も娘もレメディーもechinaforceも滅多に使わずにきましたが、今回は使ってインフルエンザ予防。
モモチャンの旦那さんの弟が、風邪を引いた私たちにTea tree のアロマオイルを嗅がせてくれましたが、帰国してからアロマランプ買ってteatreeやユーカリなど、抗菌作用のあるものを毎晩使っています。
もともと一日二食の少食マクロビ食ですが、今回は特に食事も徹底して。マクロビ食にしてからメンタルのクリアーさが違うと感じていますが、少食にしてからよりエネルギーの高さを感じます。
そして、先月から始めたら官足法の足もみによる排毒もいい感触。お灸も習慣的に使っているので、お灸も併用。
インフルエンザに関わらず、風邪など病気になること自体が悪いとは思わない。子供もかかるべき病気もして排毒したほうが健康に成長できるとおもいます。でも今回は、職場の高齢者の健康の為に免疫力、抵抗力つけて予防に勤めます。


| 自然療法 | 20:04 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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年末のご挨拶

2016年が終わります。
毎年年末頃に、移住や帰国など人生の決断をすることが多かったここ数年。今年は、一月にジンバブエから帰国したあとに、ジンバブエ移住は諦め、日本で生活していく決断をしてしまったので、穏やかな日常に感謝する年末です。

年老いていく実家の母の存在。運良く自然育児に理解ある保育園に入れ、娘がお祖母ちゃんといて保育園で遊べる日本にいたいといったこと。10年近くお世話になっている看護師派遣会社にも、老人介護施設にも、厚遇で迎えられたこと。そういう事情を総合的にみて、日本での生活を選びました。
海外移住に挑戦した人は分かると思いますが、ビザの問題、人脈のない中仕事を得ることの難しさ。
日本には不安も不満もありますが、すべてを経験して、今が最良だと言えました。
そして、ジンバブエでも日本でも、幸せだったと思えます。
これからもまた人生の決断をすることがあるでしょう。世は無常ですから。
常に今が最良だと言えるのも行動し、経験するからだと思います。常に最良の決断だった言えるように、生きていきたものです。

二十代は本当に看護師が嫌で、この仕事から足を洗いたいと随分思って、世界を放浪していました。しかし、今、こうして日本とアフリカを行き来したり、ひとり親で子育てしたり、世界の片隅のちっぽけな人々の生活に多様性ある人の豊かな人生を見てきたりして、看護師っていい仕事だと思えます。若い頃は人の命や人生を受けとめられず、人の死や障害を得る理不尽さの恐怖に震えていましたから。
この仕事は、円熟してきてから、良さが分かるのかもしれません。

仕事、育児、家事に怒濤の日々ですが、時間をどうにか作って、時々ムビラを弾きます。ジンバブエも日本も、目に見えない霊的な世界もこの物質界も、繋がっていてひとつなんだと感じます。
こういう経済優先になりがちな世界にこそ、愛を実感するムビラのような楽器が大切だと日本にいてこそ思います。

家族、友人、職場の方々、私につながるすべての人たち。至らぬ私には大きな愛をくださり本当に感謝です。
そして、来年もどうぞ御守りください。

| 日々のこと | 12:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その5〉レオナード・チアニケ氏について

住み込んでムビラ修行させてもらったレオナード・チアニケ氏は、欧米からのムビラ注文は尽きず、アメリカやバリ島に招待された経歴も持つが、日本ではムビラメーカーとしてもプレイヤーとしても情報が少ない。しかし、今回共に過ごして、ジンバブエの中でも最高級のムビラを作れる素晴らしい職人だと確信した。そして、奏者としても実に多彩で素晴らしく、教師としても無口だが質問には的確に答え、丁寧な教え方をしてくれて教師としても素晴らしいと感じた。
もし村の生活をしながら、ムビラを習いたいと思う人には、このリンガ村のレオナード・チアニケ氏をお勧めしたいので、以下のプロフィールを載せました。
ご興味ある方は、ご連絡ください。

レオナード・チアニケ氏の経歴
1953年生まれ。63歳。(亡き師匠パシパミレが1952年生まれだったので、同世代だ。)
トーテム MHOFU モフ (大鹿エラント)
チオタ地区がチアニケ家の出身村だが、父親が乾季は建築業、雨季は農業や白人の農園の警備をしていた為、幼いころはジンバブエ各地を転々とした。
1962年チノイに住む
1964~1971年 ムジュル家と父親が親交があり、ルサぺのダンバテォーコ村に住む。9歳のそのころムビラを弾き始める。フェラドリック・ムジュルは、幼馴染でともに学校に通った仲であり、今も親交が深い。その為、毎年1、2、9月のダンバテォーコでの儀式にも参加している。祖父はンジャリ奏者、父はムビラ奏者だが、ムビラ製作はしなかった為、ムビラ製作の技術はムジュル家より学ぶ。
1971~1983年 出身村チオタに住む
1983年~ 1980年のジンバブエ独立後、1983年にリンガ村がリッセトルメント(白人農地を没収し、黒人農家へ再分配した再開墾地)に移住し、現在に至る。

レオナード・チアニケ氏製作ムビラ
Bニャマロパチューニングがリンガ村では多く使われ、レオナード氏のスタンダード。
マベベンベチューニング、ダンバテォーコチューニング、カッサンガイラチューニング(Cニャマロパ)など注文に応じて作製。
ムチェンジチューニングは、レオナード氏がお気に入りの特徴的チューニング。右手ネテテは、ダンバテォーコチューニングと同じ音程。左手上段もネテテと同じ音程になっているドンゴンダチューニングの一種で、左手下の段はダンバテォーコチューリップより一音程高い。幼いころ住んでいたチオタ地方で使われていたチューニングという。
キーの素材は、スプリングを使用し、焼いてからハンマリングを行う。固めで強いサウンドで、鳴りが良い。
キーの固定は、ワイヤーを使用した伝統的スタイル。
ガリワは、ハラレからムクワの木を購入しており、非常に上質。

ムチェンジチューニングには、驚きました。今年は、ニャマロパとムチェンジチューニングを作ってもらいました。
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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その4〉娘アイネとショナの子供たち

レオナード・チアニケ家に行ったら思いがけず子供が沢山いたので、4歳のアイネは遊び相手に事欠かず、本当に幸運だった。

私たちが到着した当日、小学校の男子2人がビスケットの空箱をスコッチケルト(牛車)に見立てて車に紐をつけ、四つん這いになり牛に見立てた自分たちに結んで、スコッチケルト遊びをして四つん這いで駆けずり回っているバカバカしい遊びに爆笑してしまった。ショナの子供たちの無邪気さには、笑いが止まらない。
日本でも娘は泥んこ遊びをよくさせてくれる保育園に通っているが、ここは一面砂地で泥んこでサザ作りのオママゴトをする毎日で、服の汚し方が半端ない。木登り、木の実や果実拾いもよくした。車も大して走っていなくて大草原だ。アイネは自由に走り回り、子供なのでトイレもどこでしてもよいし、大地を転げ回り、泥をこね回して、3週間ほかの子とじゃれあい喧嘩しあいよく遊んだ。
これだけ多くの孫を面倒見るレオナード氏の苦労を思うが、レオナード氏は孫を大切にしており、服やおもちゃなど買い与えていて「子供の世話がなければ、歳をとる意味がない」と意味深いことを話してくれた。
娘は、4歳で日本語を論理的に話せるようになっていたので、言葉の通じない環境にどう適応するかと心配していたが、子供は言葉が通じなくてもコミュニケーションが出来るものなのだ。ショナ語と日本語で喧嘩をしたり、1週間余りでショナの子供たちは「ママ見て」「ダメ」などアイネの口癖をまねてみたり、アイネも「ディチャング(私の物)」「ディネンザラ(お腹すいた)」「ディポ(give me)」など簡単なショナ語を話しだした。子供のコミュニケーション能力とはすごいものだ。

ショナの子供はやはり自立している。アイネも日本では同学年に比べてしっかりしていると、周囲からは言われているが。小学生の子が幼児をお風呂に入れて、アイネのことも洗ってくれたり、料理、洗濯と家事をしていた。祖父母に甘えるなど誰もしていなくて、2歳の子供でも子供たちの輪の中だけで過ごしていた。何か充分に抱っこしてくれたり、甘えさせてくれる人がいないのは可哀想な気もするが、彼らにとって当然で寂しい様子もない。自分の子育てに対しても、ショナの子をみると考えさせられる。

アイネは、日本では私のそばで私のすることを一緒にしたがって、邪魔をして、絵もムビラの練習も集中してできずに来た。しかし、ここではアイネは終日遊び回っていて、私は一日中ムビラを弾いて過ごすことができた。一日一曲新曲を学べて、一日中ムビラを弾きまくれるなんて、こんなムビラ修行ができたのは2009年のパシパミレ師匠との生活以来だ。「学校も3学期あるうちの2学期しか行かなかったら、修了できないように、ムビラも毎日練習し、弾かなければ上達はしない。新しい曲が自分に馴染むのに2、3年はかかるものだ。自分は50年間ムビラを弾いているので、ムビラ学校50年生(グレード50)だ」とレオナード氏は言っていた。ムビラという楽器は、弾くほどに深くなる。日本に帰れば、また看護の仕事と育児にムビラを弾くことは十分にできなくなると分かっているが。

来年はもっと長くレオナード氏宅に滞在させてもらいたいと思っている。アイネにとって、この自然の中友人たちと遊び回れる環境は、なんて自由なのだろう。私にとって、深く集中してムビラ漬けの生活ができる。今年は、ムビラの儀式に2回行けたが、ニアニケ家の親族にはシキロ(霊媒師)の女性もいて儀式も頻繁に行ける。このクムーシャでの、レオナード氏と家族とムビラ修行の生活は、魂を生き生きとさせてくれた。
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| アフリカ、ムビラ | 23:43 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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〈南アフリカ、ジンバブエ旅記2016 その3〉 ジンバブエ、リンガ村ビレッジ4B レオナード・チアニケ家

ビレッジ4Bは、昨年住んでいたビレッジ7より、10kmほど幹線道路よりも奥まったリンガ村の端にある。ビレッジ7は19件もの世帯があったが、ビレッジ4Bは9件のみ。その内、4件はチアニケ家という地で、広々としておりとても静かだ。
レオナード・チアニケ氏は、リンガ村でマンダレンダレ・ムビラ・バイブスというムビラグループのリーダーで、昨年ムビラの儀式に一緒に参加して、その多彩なムビラ技術に教えを請いたいと願っていたので、今回3週間弱自宅に住み込ませてもらい、ムビラを教えてもらうことにした。

63歳のレオナード氏の家族は、妻と2歳から18歳までの9人の孫や親戚の子とワーカーという12人だった。5人の子供が、祖父母に孫を預けてハラレや南アフリカに現金を求めて行ってしまっている為で、親の送金や物をもって来ることは年数回で、ほとんどレオナード夫婦が養っていた。
牛も20頭以上、ヤギ6頭、地鳥30匹以上、ウサギと家畜も多く、6ヘクタールの農地で一家一年分のメイズやズング(落花生)ラポコやソルガムの雑穀を育て、この大家族が一年間自給自足できており、大豆は売って現金を得たそうで、農家として豊かと言えた。
今は、ブロイラーチキンの飼育もしており、ここでも現金収入を得ていた。私も昨年ブロイラービジネスに挑戦していたが、地元民とのコネクションがなくうまく地元村民に売りさばけず損失を出していたが、レオナード氏にはチキンが欲しいと電話連絡があったり人脈が生きたビジネスをしていた。
ビレッジ7の家では、私が結婚する前から朝食10時と夕食6時の2食だったが、このレオナード家は9時ポーリッジやサザ、12時チモド(無発酵パン)やライス、18時肉入りサザと3食はあり、15時頃にも軽食やマエウ(雑穀発酵飲料)を提供してくれて、食べ過ぎなぐらいだった。客がいるからこの食事ではなく、通常からこの食事内容だというから豊かだ。
レオナード氏の妻は、この大一家の主婦として料理、洗濯、食器洗い、ドヴィ(ピーナッツバター)を作る作業、ガーデン(野菜の栽培の畑)の手入れ、動物の世話など大忙しの日々だ。この土地は、井戸が深く、ビレッジ7の時は8mで水が出ていたが、ここは13mの掘っており、井戸からの水くみも重労働だった。100mほど離れたところに、植民地時代からある掘削井戸があり風車で自動的に水を汲みだすことができていて、さすが白人農地を没収して黒人に再分配したリッセトルメント(再開墾地)だと思った。

同じクムーシャ(村)暮らしだが、昨年の自分の暮らしと比べると、夫人には動物の育て方も食物の保存の仕方にも知恵があり、昨年都会育ちの日本人の私が子供たちとだけ村に暮らして、貧しい知恵のない暮らしをしていたんだなぁと、振り返ってしまった。
広大な大地、大空、動物たちに囲まれ、自給自足に近い生活。このクムーシャの暮らしの中で、ムビラを弾いている生活は本当に豊かだった
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| アフリカ、ムビラ | 00:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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